Meta:Chunsoft Thirtieth Anniversary Interview: Difference between revisions
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『ドアドア』に始まり、『ドラゴンクエスト』シリーズ、サウンドノベルシリーズ、そして不思議のダンジョンシリーズと、数々の名作を手掛けてきたチュンソフト。2012年4月1日にスパイクと合併し、現在ではスパイク・チュンソフトの名前でおなじみのメーカーだ。ファミコン時代からの往年のゲームユーザーには、良作を作り続ける老舗メーカーとして、チュンソフトファンが多くいるだろう。かくいう筆者もそのひとりだ。そんなチュンソフトが、2014年4月9日に設立30周年を迎えた。今回、30周年という節目を迎え、これまでのチュンソフト、そしてこれからのスパイク・チュンソフトについて、お話をうかがう機会をいただいた。お相手は、チュンソフトの創業者であり、現スパイク・チュンソフト代表取締役会長の中村光一氏。せっかく中村光一氏にご登場いただき、チュンソフトの30年を振り返るならば……と、チュンソフト30年の簡易年表を作り、ひとつずつお話をうかがわせていただいたところ、チュンソフト設立前から、現在のゲーム業界までを語っていただく、非常に貴重なインタビューとなった。30000字近いロングインタビューの中から、今回は前編としてチュンソフト設立以前から、スーパーファミコンの時代までをお届けする。チュンソフトファンならずとも、ぜひ最後までお読みいただきたい。 | 『ドアドア』に始まり、『ドラゴンクエスト』シリーズ、サウンドノベルシリーズ、そして不思議のダンジョンシリーズと、数々の名作を手掛けてきたチュンソフト。2012年4月1日にスパイクと合併し、現在ではスパイク・チュンソフトの名前でおなじみのメーカーだ。ファミコン時代からの往年のゲームユーザーには、良作を作り続ける老舗メーカーとして、チュンソフトファンが多くいるだろう。かくいう筆者もそのひとりだ。そんなチュンソフトが、2014年4月9日に設立30周年を迎えた。今回、30周年という節目を迎え、これまでのチュンソフト、そしてこれからのスパイク・チュンソフトについて、お話をうかがう機会をいただいた。お相手は、チュンソフトの創業者であり、現スパイク・チュンソフト代表取締役会長の中村光一氏。せっかく中村光一氏にご登場いただき、チュンソフトの30年を振り返るならば……と、チュンソフト30年の簡易年表を作り、ひとつずつお話をうかがわせていただいたところ、チュンソフト設立前から、現在のゲーム業界までを語っていただく、非常に貴重なインタビューとなった。30000字近いロングインタビューの中から、今回は前編としてチュンソフト設立以前から、スーパーファミコンの時代までをお届けする。チュンソフトファンならずとも、ぜひ最後までお読みいただきたい。 | ||
<div style="text-align: center;"><big> | <div style="text-align: center;">'''<big>Profile: 中村光一氏(なかむら こういち)</big>'''</div> | ||
スパイク・チュンソフト代表取締役会長。高校生時代に、雑誌へのプログラム投稿者として名を馳せる。1982年にエニックス主催のプログラムコンテストで『ドアドア』を投稿し、準優勝にあたる優秀プログラム賞を獲得。その後、大学在学中の1984年4月9日に株式会社チュンソフトを設立した。『ドラゴンクエスト』シリーズ、『風来のシレン』を始めとする不思議のダンジョンシリーズ、『かまいたちの夜』といったサウンドノベルシリーズなど、代表作多数。 | スパイク・チュンソフト代表取締役会長。高校生時代に、雑誌へのプログラム投稿者として名を馳せる。1982年にエニックス主催のプログラムコンテストで『ドアドア』を投稿し、準優勝にあたる優秀プログラム賞を獲得。その後、大学在学中の1984年4月9日に株式会社チュンソフトを設立した。『ドラゴンクエスト』シリーズ、『風来のシレン』を始めとする不思議のダンジョンシリーズ、『かまいたちの夜』といったサウンドノベルシリーズなど、代表作多数。 | ||
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1996年11月『不思議のダンジョン 風来のシレンGB ~月影村の怪物~』(GB) | 1996年11月『不思議のダンジョン 風来のシレンGB ~月影村の怪物~』(GB) | ||
'''<big>※</big>''' ハード名は略称。FC……ファミコン、SFC……スーパーファミコン、GB……ゲームボーイ | '''<big>※</big>''' ハード名は略称。FC……ファミコン、SFC……スーパーファミコン、GB……ゲームボーイ | ||
==・チュンソフトのおもな出来事(後編)== | |||
1998年1月 『街』(SS)発売 | |||
1998年12月 サウンドノベル・エボリューション2『かまいたちの夜 特別篇』発売 | |||
1999年1月 サウンドノベル・エボリューション3『街~運命の交差点~』発売 | |||
1999年3月 サウンドノベル・エボリューション1『弟切草 蘇生篇』発売 | |||
1999年9月 『ドラゴンクエストキャラクターズ トルネコの大冒険2 不思議のダンジョン』(PS)発売(発売元:エニックス) | |||
2000年9月 『不思議のダンジョン 風来のシレン2 鬼襲来!シレン城!』(N64)発売 | |||
2001年7月 『不思議のダンジョン 風来のシレンGB2 砂漠の魔城』(GBC)発売 | |||
2002年2月 『不思議のダンジョン 風来のシレン外伝 女剣士アスカ見参!』(DC)発売 | |||
2002年4月 携帯電話でのコンテンツ制作、運営のためにモバイル事業開始 | |||
2002年7月 『かまいたちの夜2 監獄島のわらべ唄』(PS2)発売 | |||
2002年10月 『ドラゴンクエストキャラクターズ トルネコの大冒険3 不思議のダンジョン』(PS2)発売(発売元:エニックス) | |||
2002年12月 『不思議のダンジョン 風来のシレン外伝 女剣士アスカ見参! for Windows』(Win)発売 | |||
2004年3月 チュンソフト創立20周年記念発表会開催 | |||
2004年4月 『シレン・モンスターズ ネットサル』(GBA)発売 | |||
2004年6月 『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』(PS2)発売 | |||
2005年4月 株式会社ドワンゴグループ企業となる | |||
2005年4月 『ホームランド』(GC)発売 | |||
2005年9月 セガ コンシューマ戦略発表会開催、セガ×チュンプロジェクト始動 | |||
2005年12月 株式移転により、株式会社スパイクと共同で完全親会社である株式会社ゲームズアリーナを設立 | |||
2006年7月 『かまいたちの夜×3 三日月島事件の真相』(PS2)発売 | |||
2007年4月 モバイル事業をゲームズアリーナに業務移管 | |||
2007年10月 『忌火起草』(PS3)発売 | |||
2008年6月 『不思議のダンジョン 風来のシレン3 からくり屋敷の眠り姫』(Wii)発売 | |||
2008年12月 『428~封鎖された渋谷で~』(Wii)発売 | |||
2009年12月 『極限脱出 9時間9人9の扉』(DS)発売 | |||
2010年2月 『不思議のダンジョン 風来のシレン4 神の眼と悪魔のヘソ』(DS)発売 | |||
2010年7月 『TRICK×LOGIC』(PSP)発売(発売元:ソニー・コンピュータエンタテインメント) | |||
2010年8月 愛知県名古屋市に名古屋オフィスを開設 | |||
2010年12月 パブリッシャーに復帰。『不思議のダンジョン 風来のシレン5 フォーチュンタワーと運命のダイス』(DS)発売 | |||
2011年1月 『ぞんびだいすき』(DS)発売 | |||
2011年11月 スパイクとの合併を発表。 | |||
2011年12月 『真かまいたちの夜 11人目の訪問者(サスペクト)』(PS3、PS Vita)発売 | |||
2012年2月 『極限脱出ADV 善人シボウデス』(3DS、PS Vita)発売 | |||
2012年4月 株式会社スパイクと株式会社チュンソフトが合併し株式会社スパイク・チュンソフトとなる | |||
2013年4月 『かまいたちの夜 Smart Sound Novel』(iOS)配信 | |||
2013年5月 『9時間9人9の扉 Smart Sound Novel』(iOS)配信 | |||
==Questions and Answers (Part 1 - Japanese)== | ==Questions and Answers (Part 1 - Japanese)== | ||
===チュンソフト設立、そしてファミコンとの出会い=== | ===チュンソフト設立、そしてファミコンとの出会い=== | ||
''''''――''': ''': まずは30周年、おめでとうございます。今回、チュンソフト30周年ということで、チュンソフト絡みのソフトをいっぱい持ってきまして……。 | |||
'''中村光一氏'''(以下、'''中村''') うわっ、すごいですね! 『テトリス2+ボンブリス』(1991年に発売されたファミコン用ソフト。発売元はBPS)まであるとは(笑)。これを抑えていただいているのが、うれしいですね。多くの方は、これがチュンソフト開発だというのは知りませんよ(笑)。 | |||
'''''''''――''': ''': ''': 伝説のソフトですよね(笑)。 | |||
'''中村''': いま考えると、ある意味そうかもしれませんね。ポケモンの石原さん(石原恒和氏。ポケモン代表取締役社長)とか、関わっている人たちもすごいですから。 | '''中村''': いま考えると、ある意味そうかもしれませんね。ポケモンの石原さん(石原恒和氏。ポケモン代表取締役社長)とか、関わっている人たちもすごいですから。 | ||
''''''――''': ''': この流れのまま、『テトリス2+ボンブリス』が作られた経緯をおうかがいできますか? いきなり話が脱線しますが……(笑)。 | |||
'''中村''': (笑)。最初に、石原さんがパソコンか何かで『テトリス』を遊んで、「これは、おもしろい!」と感じて、いろいろ調べたんですね。それで、どうやらソ連(当時)の人が作ったらしい、と。そこで、石原さんが権利を取るためにソ連に向かわれたんですが、タッチの差でBPSのヘンクさん(ヘンク・ブラウアー・ロジャース氏。『ザ・ブラックオニキス』などの生みの親)に権利を取られてしまったという話をうかがいました。当時、パジトノフさん(アレクセイ・パジトノフ氏。『テトリス』の生みの親)が日本に来たときに、石原さんたちといっしょにお会いして、お話させていただいたこともありましたね。ロシア語の挨拶を覚えたりして(笑)。 | '''中村''': (笑)。最初に、石原さんがパソコンか何かで『テトリス』を遊んで、「これは、おもしろい!」と感じて、いろいろ調べたんですね。それで、どうやらソ連(当時)の人が作ったらしい、と。そこで、石原さんが権利を取るためにソ連に向かわれたんですが、タッチの差でBPSのヘンクさん(ヘンク・ブラウアー・ロジャース氏。『ザ・ブラックオニキス』などの生みの親)に権利を取られてしまったという話をうかがいました。当時、パジトノフさん(アレクセイ・パジトノフ氏。『テトリス』の生みの親)が日本に来たときに、石原さんたちといっしょにお会いして、お話させていただいたこともありましたね。ロシア語の挨拶を覚えたりして(笑)。 | ||
''''''――''': ''': いちファンのようですね(笑)。それにしても、出てくるメンバーの名前がすごい。 | |||
'''中村''': それで、BPSからファミコンで『テトリス』が発売されたんですが、ファミコンの1作目はテトリミノを着地回転させながら落とすといったことができなかったんです。それで、僕らもファミコン版を遊んでいたんですが、だんだんと『テトリス』プレイヤーとして、自分たちの望むものを作りたいという想いが高まってきて……。とくに石原さんは、テトリスの著書(『テトリス10万点への解法』)があるほどのファンですから、僕やゲームスタジオの遠藤さん(遠藤雅伸氏。『ゼビウス』や『ドルアーガの塔』の生みの親)たちが集まって、「じゃあ作るか!」となったのが始まりでした。 | '''中村''': それで、BPSからファミコンで『テトリス』が発売されたんですが、ファミコンの1作目はテトリミノを着地回転させながら落とすといったことができなかったんです。それで、僕らもファミコン版を遊んでいたんですが、だんだんと『テトリス』プレイヤーとして、自分たちの望むものを作りたいという想いが高まってきて……。とくに石原さんは、テトリスの著書(『テトリス10万点への解法』)があるほどのファンですから、僕やゲームスタジオの遠藤さん(遠藤雅伸氏。『ゼビウス』や『ドルアーガの塔』の生みの親)たちが集まって、「じゃあ作るか!」となったのが始まりでした。 | ||
''''''――''': ''': ファミコン黎明期に、エースが揃うという稀有なソフトですね……。 | |||
'''中村''': 部活動のようなノリで集まりましたね(笑)。『テトリス』を作るうちにいろいろあって、オリジナルルールのものも作ろうということになって、それで『ボンブリス』も入れることになったんです。懐かしい話ですね。 | '''中村''': 部活動のようなノリで集まりましたね(笑)。『テトリス』を作るうちにいろいろあって、オリジナルルールのものも作ろうということになって、それで『ボンブリス』も入れることになったんです。懐かしい話ですね。 | ||
''''''――''': ''': 貴重なお話を、ありがとうございます。改めて、チュンソフトが30周年を迎えたということで、感想をいただけますか? | |||
'''中村''': この年表を見ながら振り返ってみると、30年は長いけど、けっこう短かったなあと……。でも年表になるほど、こんなにいっぱい出来事があったんだなあとも思いますね。 | '''中村''': この年表を見ながら振り返ってみると、30年は長いけど、けっこう短かったなあと……。でも年表になるほど、こんなにいっぱい出来事があったんだなあとも思いますね。 | ||
''''''――''': ''': 密度の濃い30年ですね。 | |||
'''中村''': PC-8001などの家庭用ゲーム黎明期というか、創成期のころから携わってきましたからね。 | '''中村''': PC-8001などの家庭用ゲーム黎明期というか、創成期のころから携わってきましたからね。 | ||
''''''――''': ''': 趣味でプログラミングをされている中で、ゲームを作っていくという流れですよね。 | |||
'''中村''': それこそ、"I/O"(当時のマイコン雑誌)などの雑誌に作品を投稿するところから始めていますから、チュンソフトとしては30年かもしれませんが、会社を設立する前の高校生のころも含めると、34、5年はゲーム作りに関わっていますね。 | |||
''''''――''': ''': ゲームに対して、ここまで続けられるほど夢中になれるものだという確信は、当時はありましたか? | |||
'''中村''': 当時は、長く続くといったことは考えていませんでしたね。ゲームセンターで遊んで、パソコンで似たようなものを再現しようと試行錯誤するというレベルの時代でした。その後にファミコンなどの家庭用ゲーム機が出てきた段階で、ふつうの家でもゲームセンター並のゲームが遊べるようになるだろうとは思いましたが、正直、現代のゲーム機もそうですが、スマートフォンなどのゲームを見ると、こんな小型で高性能なものが、こんなに早い時代に実現するというのは、パソコンの時代を知っていることもあって、本当に驚きますね。 | '''中村''': 当時は、長く続くといったことは考えていませんでしたね。ゲームセンターで遊んで、パソコンで似たようなものを再現しようと試行錯誤するというレベルの時代でした。その後にファミコンなどの家庭用ゲーム機が出てきた段階で、ふつうの家でもゲームセンター並のゲームが遊べるようになるだろうとは思いましたが、正直、現代のゲーム機もそうですが、スマートフォンなどのゲームを見ると、こんな小型で高性能なものが、こんなに早い時代に実現するというのは、パソコンの時代を知っていることもあって、本当に驚きますね。 | ||
''''''――''': ''': ゲームクリエイターとして稼いでいこうと決意したのはいつごろでしたか? | |||
'''中村''': 高校生のときからそう思っていましたね。 | '''中村''': 高校生のときからそう思っていましたね。 | ||
''''''――''': ''': それ一本でいこうと。 | |||
'''中村''': ええ。高校生のころから「ゲームの会社に入ろう」とか、「ナムコ(当時。現バンダイナムコゲームス)のような会社を作るぞ!」といったことを考えていました。 | '''中村''': ええ。高校生のころから「ゲームの会社に入ろう」とか、「ナムコ(当時。現バンダイナムコゲームス)のような会社を作るぞ!」といったことを考えていました。 | ||
''''''――''': ''': やはり、目指すはナムコでしたか。 | |||
'''中村''': 当時のゲームセンターで、ナムコのゲームは本当に光っていましたから(笑)。 | '''中村''': 当時のゲームセンターで、ナムコのゲームは本当に光っていましたから(笑)。 | ||
''''''――''': ''': 会社を作ろうと決意するのは、非常に勇気のあることだと思いますが、経営者とクリエイター、どちらの側面でやっていきたいという思いが強かったのでしょうか? | |||
'''中村''': 経営のことを考えなかったわけではありませんが、あまり意識はしていなくて。もともとゲームが好きで始めているので、ついつい作るほうに夢中になっていましたね。 | '''中村''': 経営のことを考えなかったわけではありませんが、あまり意識はしていなくて。もともとゲームが好きで始めているので、ついつい作るほうに夢中になっていましたね。 | ||
''''''――''': ''': プログラミングも、当時はベーシックやCOBOLなどから始まって、現代ではかなり進化したと思いますが。 | |||
'''中村''': 僕はもう、最近のプログラムはよくわかりません(笑)。ファミコンの時点で、ほぼ現役から退いていますので。 | '''中村''': 僕はもう、最近のプログラムはよくわかりません(笑)。ファミコンの時点で、ほぼ現役から退いていますので。 | ||
''''''――''': ''': その後の、スーパーファミコンやプレイステーション、ニンテンドウ 64あたりからは経営者として関わっていらっしゃると。 | |||
'''中村''': そうですね。『弟切草』までは、僕のプログラムが入っているかな。でも、その後はプロデュースやディレクションなどの方面でやってきました。 | '''中村''': そうですね。『弟切草』までは、僕のプログラムが入っているかな。でも、その後はプロデュースやディレクションなどの方面でやってきました。 | ||
''''''――''': ''': そういった歴史の部分を、年表に沿ってお話をお聞きしたいと思います。年表の中でもいくつか、ターニングポイントになる部分があると思いますが、まず最初に会社を設立するというのもターニングポイントですよね。これは、大学生のときですか? | |||
'''中村''': そうですね。 | '''中村''': そうですね。 | ||
''''''――''': ''': 当時、会社を作ろうと思った経緯はなんだったのでしょうか? | |||
'''中村''': 高校生のころから、"東京に行ってゲームの会社を作るぞ"と思っていたんです。実際に上京して大学に進学してからも、まわりの友だちにそんな話をしていました。それで、自分のアパートに仲間が4、5人集まって、みんなで『ドアドアmkII』や『ニュートロン』を作ったりしていたころに、「どうせだったら、ちゃんと法人登記して、ワンルームでもいいから、事務所を借りて作ろうよ」という話になって、ちょうど大学2年生に上がる前の春休みに、不動産屋さんをまわって物件を探して、4月に設立したんです。 | |||
''''''――''': ''': 設立メンバーで、いまもいらっしゃるのは? | |||
'''中村''': いま残っているメンバーは、僕と中西(中西一彦氏。チュンソフトの名物広報)のふたりですね。 | '''中村''': いま残っているメンバーは、僕と中西(中西一彦氏。チュンソフトの名物広報)のふたりですね。 | ||
''''''――''': ''': いまの世代で知らない人も多いと思いますので、改めて社名の由来を教えていただけますか? | |||
'''中村''': そうですね(笑)。もともと僕は高校時代に麻雀が好きで、よく遊んでいたんですね。それで友だちから、中村の"中"を麻雀牌の中にかけて、"チュン"というニックネームで呼ばれていたんです。そして、その名前を『ドアドア』のメインキャラクターの名前につけて(『ドアドア』の主人公の名前は"チュンくん")、『ドアドア』がヒットしたので、縁起がいいというのも含めて、チュンソフトという社名にしました。 | |||
''''''――''': ''': チュンソフトというと、キャッチフレーズの"百発百チュン"が思い浮かびます。 | |||
'''中村''': ああ。あれは、プレイステーションの時代に入ってからですね。そのタイミングでチュンソフトのロゴの書体を変えたんですが、そのときにキャッチフレーズを考えようとなって、使い始めました。 | '''中村''': ああ。あれは、プレイステーションの時代に入ってからですね。そのタイミングでチュンソフトのロゴの書体を変えたんですが、そのときにキャッチフレーズを考えようとなって、使い始めました。 | ||
''''''――''': ''': 昔から使っているイメージでしたが、意外と最近なんですね! ……最近と言っても、20年くらい前ですが(笑)。会社設立後にファミコンが登場しますが、初めてファミコンを見たときの印象はいかがでしたか? | |||
'''中村''': 「これはすごい!」と思いましたね。確か、最初のソフトは『ドンキーコング』でしたよね。あれを見たときに、「ゲーセンのゲームがこの値段で動いてる!」と、驚いたのを覚えています。 | '''中村''': 「これはすごい!」と思いましたね。確か、最初のソフトは『ドンキーコング』でしたよね。あれを見たときに、「ゲーセンのゲームがこの値段で動いてる!」と、驚いたのを覚えています。 | ||
''''''――''': ''': ファミコンで作りたいとも思いましたか? | |||
'''中村''': そうですね。いろいろなことが実現できるだろうなと思いました。 | '''中村''': そうですね。いろいろなことが実現できるだろうなと思いました。 | ||
''''''――''': ''': ファミコンでは、最初に『ドアドア』、つぎに『ポートピア連続殺人事件』を作っていらっしゃいますが、この2作の発売間隔が4ヵ月しかないんですよね。当時の開発メンバーは、中村さんと数人でしょうか? | |||
'''中村''': プログラマーは、僕以外に3~4人で、グラフィックは基本ひとり。全部で5~6人でやっていましたね。いまでは信じられない時代だと思います(笑)。 | '''中村''': プログラマーは、僕以外に3~4人で、グラフィックは基本ひとり。全部で5~6人でやっていましたね。いまでは信じられない時代だと思います(笑)。 | ||
===エニックスで集結する、運命の『ドラクエ』メンバー=== | ===エニックスで集結する、運命の『ドラクエ』メンバー=== | ||
'''''''''――''': ''': ''': 中村さんご自身、かなりのゲーム好きだと思いますが、中村さんの原点となったゲームは何でしょう? | |||
'''中村''': 当時のゲーセンのゲームで、誰もがやっているものはほとんどやっていますよ。最初は、『スペースインベーダー』かな。 | '''中村''': 当時のゲーセンのゲームで、誰もがやっているものはほとんどやっていますよ。最初は、『スペースインベーダー』かな。 | ||
''''''――''': ''': ゲームの原体験としては、『スペースインベーダー』だと。 | |||
'''中村''': でも、『スペースインベーダー』より前に、ゲームセンターというより、デパートの屋上でピンボールを遊んだりしていました。あと、スコープ状の筒を覗いてボタンを押すと、奥の戦車がガタンと傾くようなものとか。ありましたよね。 | '''中村''': でも、『スペースインベーダー』より前に、ゲームセンターというより、デパートの屋上でピンボールを遊んだりしていました。あと、スコープ状の筒を覗いてボタンを押すと、奥の戦車がガタンと傾くようなものとか。ありましたよね。 | ||
''''''――''': ''': あー! ありましたありました。 | |||
'''中村''': そういうものだったり、ドライブゲームも、棒の先にクルマがくっついていて、スクロールする紙の道をウネウネ走るといったものがすごい好きで、よく遊んでいましたね。 | '''中村''': そういうものだったり、ドライブゲームも、棒の先にクルマがくっついていて、スクロールする紙の道をウネウネ走るといったものがすごい好きで、よく遊んでいましたね。 | ||
''''''――''': ''': アナログのゲームをよく遊ばれていて、そこへデジタルの波がやってきたと。 | |||
'''中村''': はい。ですので、『スペースインベーダー』の前の『ブロック崩し』や、ピエロがぴょんぴょん飛んで風船を割る『サーカス』といったアーケードゲームも相当やっていました。やがて、『スペースインベーダー』の時代になって……。『スペースインベーダー』は、ほぼ永久プレイできるようになるくらいまでやり込みましたね。でも、バグがあって、突然死ぬんですよね。 | '''中村''': はい。ですので、『スペースインベーダー』の前の『ブロック崩し』や、ピエロがぴょんぴょん飛んで風船を割る『サーカス』といったアーケードゲームも相当やっていました。やがて、『スペースインベーダー』の時代になって……。『スペースインベーダー』は、ほぼ永久プレイできるようになるくらいまでやり込みましたね。でも、バグがあって、突然死ぬんですよね。 | ||
''''''――''': ''': えっ、そうなんですか! | |||
'''中村''': バグで、なんでもないのに自機が爆発するときがあって。それで、2機やられる以外はまったくやられなかったので、100円で1日中プレイし続けていて。最終的に、店員さんから「店が閉まるからもうやめてくれ」って言われました(笑)。 | '''中村''': バグで、なんでもないのに自機が爆発するときがあって。それで、2機やられる以外はまったくやられなかったので、100円で1日中プレイし続けていて。最終的に、店員さんから「店が閉まるからもうやめてくれ」って言われました(笑)。 | ||
''''''――''': ''': (笑)。 | |||
'''中村''': ゲーセンにしたらいい迷惑ですよね(笑)。でも、それぐらいやり込みました。 | '''中村''': ゲーセンにしたらいい迷惑ですよね(笑)。でも、それぐらいやり込みました。 | ||
''''''――''': ''': 一方、ユーザーでありながら、コンピュータを使って、実際にゲームを作り始めることになったきっかけはなんだったのでしょう? | |||
'''中村''': 高校に入るまで、コンピュータに興味はなかったんですが、学校にパソコンを使って、活動している部があって。当時は同好会だったんですが、そこのデモンストレーションで、『平安京エイリアン』のようなものが動いていたんですね。それを見たときに、「これだったら、毎日タダでゲームできる!」と思って(笑)。そんな動機で同好会に入ったのが、パソコンとの出会いでした。同好会に入ってから、先輩にプログラミングを教わるんですが、ゲームだけでなく、プログラムそのものがとてもおもしろくて、ハマったんです。 | '''中村''': 高校に入るまで、コンピュータに興味はなかったんですが、学校にパソコンを使って、活動している部があって。当時は同好会だったんですが、そこのデモンストレーションで、『平安京エイリアン』のようなものが動いていたんですね。それを見たときに、「これだったら、毎日タダでゲームできる!」と思って(笑)。そんな動機で同好会に入ったのが、パソコンとの出会いでした。同好会に入ってから、先輩にプログラミングを教わるんですが、ゲームだけでなく、プログラムそのものがとてもおもしろくて、ハマったんです。 | ||
''''''――''': ''': BASICの時代ですよね。 | |||
'''中村''': そうなんですが、最初はBASICよりも低次元というか、プログラム電卓のようなものを教えてもらいました。256STEP(STEP=行)しかプログラムを入力できないうえに、処理が遅いんですね。その256STEPで、カウンターが回っているのが目で追えるぐらいで。速い速度で処理しようとすると、技術的に問題があるという(笑)。 | '''中村''': そうなんですが、最初はBASICよりも低次元というか、プログラム電卓のようなものを教えてもらいました。256STEP(STEP=行)しかプログラムを入力できないうえに、処理が遅いんですね。その256STEPで、カウンターが回っているのが目で追えるぐらいで。速い速度で処理しようとすると、技術的に問題があるという(笑)。 | ||
''''''――''': ''': プログラムを簡略化して最適化していくといった技が必要な時代でしたね。 | |||
'''中村''': はい。そういったテクニックを駆使することで、コンピュータの中身を理解できるというのもあって、同じ同好会のメンバーで、いかに早くするかとか、いかに短くプログラムを作るかといった競争がありましたね。 | '''中村''': はい。そういったテクニックを駆使することで、コンピュータの中身を理解できるというのもあって、同じ同好会のメンバーで、いかに早くするかとか、いかに短くプログラムを作るかといった競争がありましたね。 | ||
''''''――''': ''': それもゲーム感覚ですよね。それからパソコンにハマっていくと。 | |||
'''中村''': そうです。それで、自分がアルバイトをしてお金を貯めて、パソコンを買おうと思ったんですが、当時何を買おうか迷っていたんです。NECのPC-8001か、シャープのMZ80か。そのときの主流はMZで、NECは出たばっかりだったんですが、色も使えるし、当時『I/O』に投稿していた、"芸夢狂人"という''''''――''': ''': 当時の有名な投稿者だったんですが、その方がNECのパソコン用に投稿していた『インベーダー』のようなゲームがすごい好きで、「これ、やりたい!」と思ってNECにしました。いま思えば、PC-8001を買うかMZを買うかでのちの人生が変わっていたかもしれないですね。 | |||
''''''――''': ''': そこが分岐点だったと。 | |||
'''中村''': そうですね。 | '''中村''': そうですね。 | ||
''''''――''': ''': 最初は、雑誌に載っている投稿を打ち込むところから? | |||
'''中村''': そこからスタートで、やがて自分で作りたいなと思って、徐々に本格的なプログラムを作っていきました。 | '''中村''': そこからスタートで、やがて自分で作りたいなと思って、徐々に本格的なプログラムを作っていきました。 | ||
''''''――''': ''': そのまま、パソコンはNECのシリーズを買われたのでしょうか? | |||
'''中村''': PC-8001から8801まで買っていました。当時は、家庭用のブラウン管テレビにつないでいたので、いまのように文字はいっぱい表示されないんです。40文字と20文字かな。それもブラウン管なので見づらいんです(笑)。ですので、白黒反転させてプログラムを作ったり。デバッグも、プリンターなんて高くて個人で買えない時代なので、1行ずつチェックしてバグを見つけていくしかなかった。 | '''中村''': PC-8001から8801まで買っていました。当時は、家庭用のブラウン管テレビにつないでいたので、いまのように文字はいっぱい表示されないんです。40文字と20文字かな。それもブラウン管なので見づらいんです(笑)。ですので、白黒反転させてプログラムを作ったり。デバッグも、プリンターなんて高くて個人で買えない時代なので、1行ずつチェックしてバグを見つけていくしかなかった。 | ||
''''''――''': ''': 色も音もない時代も経験されているんですね。 | |||
'''中村''': そうですね。当時は、メモリーはせいぜい何キロバイトの時代で、メガはもちろん、いまのギガなんて、「何だそれは」という感じで、自分の感覚からすれば想像できない(笑)。 | '''中村''': そうですね。当時は、メモリーはせいぜい何キロバイトの時代で、メガはもちろん、いまのギガなんて、「何だそれは」という感じで、自分の感覚からすれば想像できない(笑)。 | ||
''''''――''': ''': メールでやりとりする容量で、当時のゲームが何本も入りますし……。 | |||
'''中村''': iPhoneで撮った写真の容量で、『ドラクエ』(『ドラゴンクエスト』)が何本入るんだろうと思いますよね(笑)。 | '''中村''': iPhoneで撮った写真の容量で、『ドラクエ』(『ドラゴンクエスト』)が何本入るんだろうと思いますよね(笑)。 | ||
''''''――''': ''': 『ドラクエ』は1作目が512キロバイトですよね。使う言葉を削ったりしたと聞きました。 | |||
'''中村''': 残った文字の中で、カタカナは半分もないと思います。逆に、残ったカタカナで、魔法や街の名前を考え直したりして。そんな涙ぐましい努力をしていた時代は、本当に過去のものになりましたから。 | '''中村''': 残った文字の中で、カタカナは半分もないと思います。逆に、残ったカタカナで、魔法や街の名前を考え直したりして。そんな涙ぐましい努力をしていた時代は、本当に過去のものになりましたから。 | ||
''''''――''': ''': 当時、いろいろなジャンルを手掛けられていますよね。アクションの『ドアドア』や『ニュートロン』で始まり、『ポートピア連続殺人事件』はアドベンチャーで。 | |||
'''中村''': チュンソフトのイメージと言うと、『ドラクエ』のRPGや、サウンドノベルのアドベンチャーなどの印象が強いと思うんですが、もともとはアクションゲームというか、リアルタイムゲームを作っていました。世に出たメジャーじゃないものでも、当時自分でいろいろなジャンルを作って遊んだりしていたものもありましたね。 | '''中村''': チュンソフトのイメージと言うと、『ドラクエ』のRPGや、サウンドノベルのアドベンチャーなどの印象が強いと思うんですが、もともとはアクションゲームというか、リアルタイムゲームを作っていました。世に出たメジャーじゃないものでも、当時自分でいろいろなジャンルを作って遊んだりしていたものもありましたね。 | ||
''''''――''': ''': やはり、それはご自身が遊びたいから作るというモチベーションなのでしょうか? | |||
'''中村''': それもありますし、当時は目でコピーして、プログラムを作って投稿するといったことをしていました。KONAMIさんの『スクランブル』とか。 | '''中村''': それもありますし、当時は目でコピーして、プログラムを作って投稿するといったことをしていました。KONAMIさんの『スクランブル』とか。 | ||
''''''――''': ''': アーケードのゲームをいかにパソコンで再現するかという、投稿者の勝負のような時代でしたね。改めて、『ドアドア』の誕生秘話についておうかがいしたいのですが、エニックス(当時。現スクウェア・エニックス)との出会いも大きなターニングポイントになったのでしょうか? | |||
'''中村''': そうですね。ちょうど、高校3年生のときに、エニックスがパソコンのプログラムコンテストをやっていたんです。近くのNECのパソコンショップに行ったときですが、そのころPC-98シリーズがちょうど出たばっかりで。ただ、値段が30万円くらいするから高校生には高すぎて買えないという話をしていたんですね。そうしたら、そこの店長が「中村君なら、これで受賞して賞金100万円もらえるんじゃない。出てみれば?」と言って、渡してくれたのが、エニックスのコンテストのチラシだったんです。それを見て、やってみようと思って作ったのが、『ドアドア』でした。 | '''中村''': そうですね。ちょうど、高校3年生のときに、エニックスがパソコンのプログラムコンテストをやっていたんです。近くのNECのパソコンショップに行ったときですが、そのころPC-98シリーズがちょうど出たばっかりで。ただ、値段が30万円くらいするから高校生には高すぎて買えないという話をしていたんですね。そうしたら、そこの店長が「中村君なら、これで受賞して賞金100万円もらえるんじゃない。出てみれば?」と言って、渡してくれたのが、エニックスのコンテストのチラシだったんです。それを見て、やってみようと思って作ったのが、『ドアドア』でした。 | ||
''''''――''': ''': そこで、いきなり『ドアドア』を作ったんですか! | |||
'''中村''': 当時は、いまみたいに著作権が確立されていない時代でしたから、僕はそのころハマっていたナムコの『ディグダグ』をコピーして応募しようと思っていたんです。でも、なんとなく気になって、一応エニックスに問い合わせたら、「オリジナル作品が対象です」と言われて。いま考えると、当然ですけどね(苦笑)。それで、『ディグダグ』のおもしろさを別の形で表現しようと考えて、『ドアドア』を作ったんです。 | '''中村''': 当時は、いまみたいに著作権が確立されていない時代でしたから、僕はそのころハマっていたナムコの『ディグダグ』をコピーして応募しようと思っていたんです。でも、なんとなく気になって、一応エニックスに問い合わせたら、「オリジナル作品が対象です」と言われて。いま考えると、当然ですけどね(苦笑)。それで、『ディグダグ』のおもしろさを別の形で表現しようと考えて、『ドアドア』を作ったんです。 | ||
''''''――''': ''': ああ、なるほど。『ディグダグ』の岩を落とすのが、『ドアドア』のドアを開けるものにつながっていますね……。 | |||
'''中村''': そうですね。追い込んでまとめて倒すという。 | '''中村''': そうですね。追い込んでまとめて倒すという。 | ||
''''''――''': ''': それで、応募されて準優勝を獲得されます。確か、1位が『森田将棋』の森田和郎さんでしたね。 | |||
'''中村''': ええ。そのときは将棋じゃなくて、『森田のバトルフィールド』というウォーシミュレーションゲームでしたね。 | '''中村''': ええ。そのときは将棋じゃなくて、『森田のバトルフィールド』というウォーシミュレーションゲームでしたね。 | ||
''''''――''': ''': それをきっかけにエニックスとつながりができて……。堀井さん(堀井雄二氏。アーマープロジェクト代表。『ドラゴンクエスト』シリーズなどの生みの親)もそのコンテストに参加されていらっしゃったんですよね。 | |||
'''中村''': 堀井さんは『ラブマッチテニス』という、テニスゲームを出していて。……我ながら、タイトルまで覚えているのは驚きますね。最近の新しいゲームのタイトルはなかなか覚えられないのに(笑)。 | '''中村''': 堀井さんは『ラブマッチテニス』という、テニスゲームを出していて。……我ながら、タイトルまで覚えているのは驚きますね。最近の新しいゲームのタイトルはなかなか覚えられないのに(笑)。 | ||
''''''――''': ''': (笑)。そこで、エニックスの千田さん(千田幸信氏。スクウェア・エニックス・ホールディングス取締役。『ドラゴンクエスト』シリーズで、『VII』までプロデューサーを務める)ともお会いされ、『ドラクエ』メンバーが集まったわけですね。 | |||
'''中村''': すぎやま先生(すぎやまこういち氏。『ドラゴンクエスト』シリーズや『風来のシレン』シリーズの作曲家)や鳥山先生(鳥山明氏。『ドラゴンボール』などで知られるマンガ家)は、のちにでしたね。堀井さんは、もともと週刊少年ジャンプの読者投稿コーナーのページを担当されていて、コンテストの投稿もしていたけれど、取材の立場も含めて、授賞式にいらしていたんです。 | '''中村''': すぎやま先生(すぎやまこういち氏。『ドラゴンクエスト』シリーズや『風来のシレン』シリーズの作曲家)や鳥山先生(鳥山明氏。『ドラゴンボール』などで知られるマンガ家)は、のちにでしたね。堀井さんは、もともと週刊少年ジャンプの読者投稿コーナーのページを担当されていて、コンテストの投稿もしていたけれど、取材の立場も含めて、授賞式にいらしていたんです。 | ||
''''''――''': ''': そのときから、いっしょにゲームを作ろうといったお話はあったのでしょうか? | |||
'''中村''': いえ、すぐにそうはなりませんでした。その後、『ニュートロン』を作ったころにファミコンが出てきて、ファミコン版の『ドアドア』を作りまして。続いて、2本目のファミコンソフトとして『ニュートロン』を作ろうと、エニックスさんと話をしていたんです。ですが、そこでもう少し大人向けのゲームがいいんじゃないかという話が出て、アドベンチャーを作ることになったんですね。ただ、容量的に絵をたくさん入れるアドベンチャーは難しいと悩んでいたら、千田さんから「『ポートピア連続殺人事件』だったら、絵が20枚もないからいけるかもしれない」と言われて、そこで原作者の堀井さんと話をして……。それが、堀井さんといっしょにゲームを作る初めてのプロジェクトですね。 | '''中村''': いえ、すぐにそうはなりませんでした。その後、『ニュートロン』を作ったころにファミコンが出てきて、ファミコン版の『ドアドア』を作りまして。続いて、2本目のファミコンソフトとして『ニュートロン』を作ろうと、エニックスさんと話をしていたんです。ですが、そこでもう少し大人向けのゲームがいいんじゃないかという話が出て、アドベンチャーを作ることになったんですね。ただ、容量的に絵をたくさん入れるアドベンチャーは難しいと悩んでいたら、千田さんから「『ポートピア連続殺人事件』だったら、絵が20枚もないからいけるかもしれない」と言われて、そこで原作者の堀井さんと話をして……。それが、堀井さんといっしょにゲームを作る初めてのプロジェクトですね。 | ||
''''''――''': ''': 『ポートピア』の移植の話からつながったと。 | |||
'''中村''': 『ポートピア』の移植が実際にできるのかどうかわかりませんでしたが、そこでグラフィックを制限したり、使う文字を制限したりといった工夫をして実現したんです。思えば、『ポートピア』もあの容量によく入っているなあと思うくらい、いろいろ駆使しましたね。 | '''中村''': 『ポートピア』の移植が実際にできるのかどうかわかりませんでしたが、そこでグラフィックを制限したり、使う文字を制限したりといった工夫をして実現したんです。思えば、『ポートピア』もあの容量によく入っているなあと思うくらい、いろいろ駆使しましたね。 | ||
''''''――''': ''': 『ポートピア』は、いまだにインターネットで"犯人はヤス"と言われるくらい有名な作品になっていますね。 | |||
'''中村''': 当時は、まだインターネットもなかったので、本当に口コミでじわじわ広がっていったんだと思います。『ポートピア』は、千田さんがプロデューサー的な立ち位置で束ねて、堀井さんがシナリオを作り、現場の開発部分全般をチュンソフトが担当するという役割分担でしたね。 | '''中村''': 当時は、まだインターネットもなかったので、本当に口コミでじわじわ広がっていったんだと思います。『ポートピア』は、千田さんがプロデューサー的な立ち位置で束ねて、堀井さんがシナリオを作り、現場の開発部分全般をチュンソフトが担当するという役割分担でしたね。 | ||
''''''――''': ''': 中村さんはプログラム全般ですか? | |||
'''中村''': 『ポートピア』のプログラムは全部書きましたね。『ドアドア』もそうですし、『ドラクエ』の1作目も音楽以外はすべて担当しました。 | '''中村''': 『ポートピア』のプログラムは全部書きましたね。『ドアドア』もそうですし、『ドラクエ』の1作目も音楽以外はすべて担当しました。 | ||
''''''――''': ''': 全部! | |||
'''中村''': そういう時代だったんですよね(笑)。でも、『ドラクエII』からは、自分の持ち分も少なくなりました。 | '''中村''': そういう時代だったんですよね(笑)。でも、『ドラクエII』からは、自分の持ち分も少なくなりました。 | ||
''''''――''': ''': ボリュームが一気に増えましたからね。 | |||
'''中村''': ……事前にいただいた質問状で、"チュンソフト30周年でもっとも苦しかったことは?"というのがありますが、振り返っていちばん辛かったと感じるのは、『ドラクエII』を作っているときなんです(笑)。 | |||
''''''――''': ''': 30年の歴史の中では、意外と早い! それは、どういった経緯で? | |||
'''中村''': いま話したように、それまでチームで作ってはいたものの、明確に分担ができていたので、それぞれの作業は独立しているようなものだったんです。それが、『ドラクエII』のときに、初めて本体のプログラムを3~4人で分担して作ったんですね。僕にとっては、共同でプログラムを作るということ自体が初めてで、本当は最初に決めなくてはいけないことも決めずに、意思の疎通もしないでスタートしてしまったので、いろいろなトラブルが発生しまして……。途中まで動いているんだけど、突然おかしくなったりして、だけど、誰のプログラムが悪いのかわからない。みんな、完全なプロではなく、半分学生のような人たちだったので、「お前のせいだ!」と言い合って険悪な雰囲気になったりして。当時の僕の仕事は、デバッグよりも仲裁がメインでしたね(苦笑)。それで、当初予定していた発売日より遅れてしまって。できあがったものもバランスがキツくて、こんなに苦労したのに……という思いもあって、会社を辞めようかと思うレベルまで来ていました。 | '''中村''': いま話したように、それまでチームで作ってはいたものの、明確に分担ができていたので、それぞれの作業は独立しているようなものだったんです。それが、『ドラクエII』のときに、初めて本体のプログラムを3~4人で分担して作ったんですね。僕にとっては、共同でプログラムを作るということ自体が初めてで、本当は最初に決めなくてはいけないことも決めずに、意思の疎通もしないでスタートしてしまったので、いろいろなトラブルが発生しまして……。途中まで動いているんだけど、突然おかしくなったりして、だけど、誰のプログラムが悪いのかわからない。みんな、完全なプロではなく、半分学生のような人たちだったので、「お前のせいだ!」と言い合って険悪な雰囲気になったりして。当時の僕の仕事は、デバッグよりも仲裁がメインでしたね(苦笑)。それで、当初予定していた発売日より遅れてしまって。できあがったものもバランスがキツくて、こんなに苦労したのに……という思いもあって、会社を辞めようかと思うレベルまで来ていました。 | ||
''''''――''': ''': そこまでですか……。 | |||
'''中村''': ええ。ところが、いざ発売したら、これが裏返しの"30周年でもっともよかったこと"になるのかもしれませんが、発売日からすごい行列ができて。 | |||
''''''――''': ''': 大ヒットでしたね。 | |||
'''中村''': ニュースになるくらいの騒ぎで、本当にうれしかったですね。 | '''中村''': ニュースになるくらいの騒ぎで、本当にうれしかったですね。 | ||
''''''――''': ''': 『ドラクエ』は『II』から一気に人気が出た印象があります。 | |||
'''中村''': 作っていた立場で言うと、『ドラクエ』の1作目ができあがったものを遊んだときに、すごくよくできているし、バランスもいいし、"これは絶対いける!"と確信を持っていたんです。でも、1作目はジワジワ売れたものの、思ったような勢いは出なくてそれが、『II』で爆発したんですが、よく皆さんあんなに難しいゲームを遊んだなあと、いまでも思います(苦笑)。 | |||
''''''――''': ''': ロンダルキアあたりはきびしいですね……。 | |||
'''中村''': ザラキとか、鬼ですよね(笑)。 | '''中村''': ザラキとか、鬼ですよね(笑)。 | ||
''''''――''': ''': 中村さんも、そう思っていらっしゃったんですね(笑)。 | |||
'''中村''': みんな思っていましたよ(笑)。実際に遊んで、これはキツイと。でも、そういう難しさも含めて、皆さんで話題にしていただいたおかげで、広がったのかなと思いますね。いまのように、ネットに答えが書いてあるということもありませんし。 | '''中村''': みんな思っていましたよ(笑)。実際に遊んで、これはキツイと。でも、そういう難しさも含めて、皆さんで話題にしていただいたおかげで、広がったのかなと思いますね。いまのように、ネットに答えが書いてあるということもありませんし。 | ||
''''''――''': ''': 当時の『ドラクエ』は1作目から続編が発売されるまでの期間も短いですよね。発売が延期しても、1年経っていませんし。信じられない早さだと思います。 | |||
'''中村''': それでも、かなり「遅い」って言われましたよ(苦笑)。 | '''中村''': それでも、かなり「遅い」って言われましたよ(苦笑)。 | ||
''''''――''': ''': 時代の違いですね(笑)。『II』のヒットを受けて、周囲の反響などはいかがでしたか? | |||
'''中村''': ゲーム作りの現場は、最後のマスターアップのときがものすごく大変なんですね。でも、開発が終わって、実際にROMの生産が始まって発売を迎えるまで、当時は2ヵ月以上かかったんですよ。ですので、発売日になるころには、開発メンバーは次回作の話をしているタイミングで。そういうタイムラグもあって、作品が世の中に出て盛り上がっているときと、自分たちの気持ちにズレがあったのを覚えています。 | '''中村''': ゲーム作りの現場は、最後のマスターアップのときがものすごく大変なんですね。でも、開発が終わって、実際にROMの生産が始まって発売を迎えるまで、当時は2ヵ月以上かかったんですよ。ですので、発売日になるころには、開発メンバーは次回作の話をしているタイミングで。そういうタイムラグもあって、作品が世の中に出て盛り上がっているときと、自分たちの気持ちにズレがあったのを覚えています。 | ||
''''''――''': ''': なるほど。カセットの時期ならではのお話ですね。このまま、『ドラクエ』シリーズのお話もうかがいたいのですが、つぎのターニングポイントへとお話を進ませていただいて……。 | |||
'''中村''': このままですと、チュンソフト創世記だけでお話終わっちゃいますからね(笑)。 | '''中村''': このままですと、チュンソフト創世記だけでお話終わっちゃいますからね(笑)。 | ||
===サウンドノベル、不思議のダンジョンの誕生=== | ===サウンドノベル、不思議のダンジョンの誕生=== | ||
'''''''''――''': ''': ''': つぎの大きなターニングポイントとしては、『弟切草』でパブリッシャーになるところだと思います。発売日としては、『ドラクエV』の後ではありますが、参入を決めたのは、その前ですよね。パブリッシャーになりたいということは、いつごろから考えていたのでしょう? | |||
'''中村''': パブリッシャーになりたいというよりは、ずっとオリジナルタイトルをやりたいと思っていたんです。でも、『ドラクエ』がシリーズを重ねるに連れて、どんどんボリュームが増えて、開発期間もスタッフの規模もふくらんでいくので、オリジナルを手掛ける余裕がなかったんですね。ただ、ちょうどハードがファミコンからスーパーファミコンに移り変わるタイミングだったので、「パブリッシャーになるならここだ」と思って。当時、ゲームスタジオの遠藤さんもご自身の会社を作って間もないくらいだったので、遠藤さんと「スーパーファミコンのライセンスをお願いしに行こう」と話をして、いっしょに任天堂さんに行きました。 | '''中村''': パブリッシャーになりたいというよりは、ずっとオリジナルタイトルをやりたいと思っていたんです。でも、『ドラクエ』がシリーズを重ねるに連れて、どんどんボリュームが増えて、開発期間もスタッフの規模もふくらんでいくので、オリジナルを手掛ける余裕がなかったんですね。ただ、ちょうどハードがファミコンからスーパーファミコンに移り変わるタイミングだったので、「パブリッシャーになるならここだ」と思って。当時、ゲームスタジオの遠藤さんもご自身の会社を作って間もないくらいだったので、遠藤さんと「スーパーファミコンのライセンスをお願いしに行こう」と話をして、いっしょに任天堂さんに行きました。 | ||
''''''――''': ''': いっしょに行かれたのですね。 | |||
'''中村''': よく覚えています。 | '''中村''': よく覚えています。 | ||
''''''――''': ''': そして、パブリッシャーとして最初に出されたのが『弟切草』。 | |||
'''中村''': 任天堂さんに気持ちよく許諾をいただきまして、すぐにでもオリジナルタイトルを出したかったのですが、一方で『ドラクエV』の開発も手掛けていたので、なかなか着手できなかったんですね。それで、プログラムやグラフィックがそこまで手がかからないものは作れないかと考えた結果、サウンドノベルができたわけです。 | '''中村''': 任天堂さんに気持ちよく許諾をいただきまして、すぐにでもオリジナルタイトルを出したかったのですが、一方で『ドラクエV』の開発も手掛けていたので、なかなか着手できなかったんですね。それで、プログラムやグラフィックがそこまで手がかからないものは作れないかと考えた結果、サウンドノベルができたわけです。 | ||
''''''――''': ''': なるほど。ボリュームはすごかったですが、ゲームの構造的には確かにシンプルでした。 | |||
'''中村''': そうですね。でも、もちろん手がかからないという理由だけで、サウンドノベルを作ったわけではなくて。もうひとつ、スーパーファミコンは、ファミコンよりもリアルな音を出せて、声もサンプリングできる機能を持っていたので、その機能を活かしたものとしてサウンドノベルを考えました。 | '''中村''': そうですね。でも、もちろん手がかからないという理由だけで、サウンドノベルを作ったわけではなくて。もうひとつ、スーパーファミコンは、ファミコンよりもリアルな音を出せて、声もサンプリングできる機能を持っていたので、その機能を活かしたものとしてサウンドノベルを考えました。 | ||
''''''――''': ''': 当時、ユーザー時代に任天堂スペースワールドで開発中のものを遊ばせていただきましたが、最初は背景のグラフィックがありませんでしたよね。 | |||
'''中村''': はい。最初はわら半紙のテクスチャーの上に文字を配置していて、たまに迫ってくるクルマや落雷などのアニメーションが入るようにしたのですが、それで発表をしたところ、流通の方から「コンセプトはわかるけど、これじゃあ売りづらいよ」と言われ、雑誌社の方にも「紹介しづらいです」と言われ……(苦笑)。それもあって、20枚くらいのグラフィックを用意して、場面ごとに背景が変わるようにしました。 | '''中村''': はい。最初はわら半紙のテクスチャーの上に文字を配置していて、たまに迫ってくるクルマや落雷などのアニメーションが入るようにしたのですが、それで発表をしたところ、流通の方から「コンセプトはわかるけど、これじゃあ売りづらいよ」と言われ、雑誌社の方にも「紹介しづらいです」と言われ……(苦笑)。それもあって、20枚くらいのグラフィックを用意して、場面ごとに背景が変わるようにしました。 | ||
''''''――''': ''': 斬新なジャンルでしたから、周囲も評価しづらかったんだと思います。でも、パブリッシャーとしての初の作品で、新ジャンルというのは意欲的ですよね。 | |||
'''中村''': うーん。よくそう言われたんですけど、ゲームの初期の初期から見ているので、僕はジャンルという意識がないんですよ。アクションゲームと言っても、その中にもシューティング的なものがあれば、『パックマン』や『ディグダグ』みたいなものも、パズル要素があるものもあったりと、いろいろなものがありますよね。それと同じで、アドベンチャーにも、アスキーの『表参道アドベンチャー』や『南青山アドベンチャー』といったテキストアドベンチャーがあったり、ちょっと絵がついた『ミステリーハウス』があったり、ウォーシミュレーションゲームで『フリートコマンダー』とか。そういうものを全部遊んできて、ゲームにはいろいろなタイプのものがあるという認識だったので、ジャンルを意識して作ることはしていないんです。 | '''中村''': うーん。よくそう言われたんですけど、ゲームの初期の初期から見ているので、僕はジャンルという意識がないんですよ。アクションゲームと言っても、その中にもシューティング的なものがあれば、『パックマン』や『ディグダグ』みたいなものも、パズル要素があるものもあったりと、いろいろなものがありますよね。それと同じで、アドベンチャーにも、アスキーの『表参道アドベンチャー』や『南青山アドベンチャー』といったテキストアドベンチャーがあったり、ちょっと絵がついた『ミステリーハウス』があったり、ウォーシミュレーションゲームで『フリートコマンダー』とか。そういうものを全部遊んできて、ゲームにはいろいろなタイプのものがあるという認識だったので、ジャンルを意識して作ることはしていないんです。 | ||
''''''――''': ''': 懐かしい名前が続々と……(笑)。 | |||
'''中村''': (笑)。『弟切草』で挑みたかったポイントがひとつあって。当時『ドラクエ』があれだけヒットしていたにも関わらず、なかなか遊んでくれない友だちや親戚がいて、どうして遊ばないのか話を聞くと、「ひらがなばっかりで読みづらそう」とか「コントローラーで上手に動かせない」と言われたんですね。そういった人たちにとって、ゲームを遊ぶ、コントローラーを握るきっかけになるようなものを作りたいと思ったんです。それで、基本は読むだけ。操作もたまに出てくる選択肢を選ぶだけで、話が変わっていくおもしろさを味わえるものだったら、反射神経もいらないし、さっき言った人たちも遊んでくれるんじゃないかと考えまして。ひらがなだけという問題は、スーパーファミコンの性能で漢字とカナが使えるようになったのも大きかったですね。あと、僕が経験した中で、当時は家庭用ゲーム機でテキストアドベンチャーのおもしろさが表現されていないというのもあったので、そういったもろもろを解決する中で、『弟切草』ができあがったんです。 | '''中村''': (笑)。『弟切草』で挑みたかったポイントがひとつあって。当時『ドラクエ』があれだけヒットしていたにも関わらず、なかなか遊んでくれない友だちや親戚がいて、どうして遊ばないのか話を聞くと、「ひらがなばっかりで読みづらそう」とか「コントローラーで上手に動かせない」と言われたんですね。そういった人たちにとって、ゲームを遊ぶ、コントローラーを握るきっかけになるようなものを作りたいと思ったんです。それで、基本は読むだけ。操作もたまに出てくる選択肢を選ぶだけで、話が変わっていくおもしろさを味わえるものだったら、反射神経もいらないし、さっき言った人たちも遊んでくれるんじゃないかと考えまして。ひらがなだけという問題は、スーパーファミコンの性能で漢字とカナが使えるようになったのも大きかったですね。あと、僕が経験した中で、当時は家庭用ゲーム機でテキストアドベンチャーのおもしろさが表現されていないというのもあったので、そういったもろもろを解決する中で、『弟切草』ができあがったんです。 | ||
''''''――''': ''': 売上的にはいかがでしたか? | |||
'''中村''': 初回出荷で12万本くらいからスタートでした。当時、「もうちょっと売れたらいいなー」と思ったんですが(笑)、本当にロングテイルでジワジワと1万~2万くらいずつ追加出荷をして、最終的には30万本を超えましたね。とくに初期は、本当に品切れを起こしていたので、ユーザーさんのあいだで"聞いたことはあるけど見たことがない"という伝説のゲームとして、いろいろな意味で怖さが広がったみたいです(笑)。 | |||
''''''――''': ''': 都市伝説のような(笑)。そして、『弟切草』の後は、『ドラクエV』を作り、1年半後に『トルネコの大冒険』を発売されます。 | |||
'''中村''': 『弟切草』を出した後、『ドラクエV』で『ドラクエ』の制作から外れて、本格的に自社のソフトを作ろうとなりまして。それで、つぎに作ったのが『トルネコの大冒険』でした。 | '''中村''': 『弟切草』を出した後、『ドラクエV』で『ドラクエ』の制作から外れて、本格的に自社のソフトを作ろうとなりまして。それで、つぎに作ったのが『トルネコの大冒険』でした。 | ||
''''''――''': ''': 『ドラクエ』という大作の開発から外れるというのは、非常に大きな決断だったと思いますが、迷いはなかったのでしょうか。 | |||
'''中村''': 自分たちの作りたいものを作っていきたいという気持ちが大きかったですし、それまでにシリーズで5作作ったことで、自分たちの中でやり尽くしたという想いもありましたから、あまり迷いはありませんでした。 | '''中村''': 自分たちの作りたいものを作っていきたいという気持ちが大きかったですし、それまでにシリーズで5作作ったことで、自分たちの中でやり尽くしたという想いもありましたから、あまり迷いはありませんでした。 | ||
''''''――''': ''': 『ローグ』(PC向けに開発された、ランダムダンジョン探索型RPGの原初となる作品)というベースはありましたが、『不思議のダンジョン』もまた、サウンドノベルに続く新ジャンルで、今日に続く家庭用ゲーム機でのランダムダンジョンの原点になっていますね。 | |||
'''中村''': 『不思議のダンジョン』シリーズをずっとプロデュースしている、うちの役員の長畑(長畑成一郎氏)という者がいるんですが、彼が『ローグ』が大好きでずっと遊んでいて。「これ(『ローグ』)おもしろいから、つぎはこれを自分たちで作ろう」という提案をしてきたんです。でも、そのときに初めて『ローグ』に触れたんですが、まったくわけがわからなくて(苦笑)。とくにアイテムがすべて未識別な状態なんです。「これはどうやって進むんだろう」と2~3日悩んでいたんですね。それであるとき、未識別のアイテムを2個持っていて、そのうちのひとつを使ったら、1個が識別状態で残るということに気がついて。「こうやって1個ずつ残していけば、アイテムが使えるんだ!」と、自分で見つけていく楽しさに気づいてからは、すごいハマりましたね。 | '''中村''': 『不思議のダンジョン』シリーズをずっとプロデュースしている、うちの役員の長畑(長畑成一郎氏)という者がいるんですが、彼が『ローグ』が大好きでずっと遊んでいて。「これ(『ローグ』)おもしろいから、つぎはこれを自分たちで作ろう」という提案をしてきたんです。でも、そのときに初めて『ローグ』に触れたんですが、まったくわけがわからなくて(苦笑)。とくにアイテムがすべて未識別な状態なんです。「これはどうやって進むんだろう」と2~3日悩んでいたんですね。それであるとき、未識別のアイテムを2個持っていて、そのうちのひとつを使ったら、1個が識別状態で残るということに気がついて。「こうやって1個ずつ残していけば、アイテムが使えるんだ!」と、自分で見つけていく楽しさに気づいてからは、すごいハマりましたね。 | ||
''''''――''': ''': 当時の『ローグ』は、すべて記号でしたから、取っつきづらいですよね(笑)。"@"が主人公で。 | |||
'''中村''': そうそう(笑)。"!"がポーションとか。 | |||
''''''――''': ''': いまのユーザーが見ると驚くでしょうね(笑)。それを、家庭用ゲーム機に落とし込むときに、トルネコというキャラクターを選んだ理由は何だったのでしょう? | |||
'''中村''': 『ドラクエ』や『ファイナルファンタジー』といった主流のRPGと比べたとき、プレイヤーが倒れるとレベルも所持金もゼロになるというシステムも含めて、あまりにもルールがわかりづらいと感じまして。せめて、アイテムやモンスターの名前がわかっていると、イメージが伝わりやすいと考えた結果、『ドラクエ』のキャラクターを使わせてもらうのがいちばんいいんじゃないかという話になったんです。それで、『ドラクエ』の中で、どの主人公がいいかと考えた結果、トルネコを主人公にしてアイテムを集めることを目的にすれば、わかりやすいなと。それで、堀井さんたちにお願いをして許諾を得まして、『トルネコの大冒険』になったんです。 | '''中村''': 『ドラクエ』や『ファイナルファンタジー』といった主流のRPGと比べたとき、プレイヤーが倒れるとレベルも所持金もゼロになるというシステムも含めて、あまりにもルールがわかりづらいと感じまして。せめて、アイテムやモンスターの名前がわかっていると、イメージが伝わりやすいと考えた結果、『ドラクエ』のキャラクターを使わせてもらうのがいちばんいいんじゃないかという話になったんです。それで、『ドラクエ』の中で、どの主人公がいいかと考えた結果、トルネコを主人公にしてアイテムを集めることを目的にすれば、わかりやすいなと。それで、堀井さんたちにお願いをして許諾を得まして、『トルネコの大冒険』になったんです。 | ||
''''''――''': ''': 『トルネコの大冒険』は、いきなりヒットしましたよね。 | |||
'''中村''': そうですね。やはり『ドラクエ』の影響も大きいと思います。 | '''中村''': そうですね。やはり『ドラクエ』の影響も大きいと思います。 | ||
''''''――''': ''': これ以降の開発体制は、不思議のダンジョン系とサウンドノベル系の2ラインというイメージで、今度はサウンドノベルの『かまいたちの夜』が大ヒットしました。原作を担当された我孫子武丸さん(ミステリー作家。"速水三兄妹"シリーズなど代表作多数)とは、この後、長いお付き合いになりますよね。 | |||
'''中村''': そうですね。その後も、ずいぶんといろいろとご協力いただいております(笑)。 | '''中村''': そうですね。その後も、ずいぶんといろいろとご協力いただいております(笑)。 | ||
''''''――''': ''': 我孫子さんとの接点を改めておうかがいできますか。 | |||
'''中村''': 『弟切草』に封入したアンケートはがきで、"つぎはミステリーがやりたい"というユーザーさんの意見が多かったんです。それで当時、若手のミステリー作家の先生方20人くらいに、「サウンドノベルというものを作っているんですが、興味ありませんか?」と手紙を出したんですね。そうしたら、我孫子さんからお返事をいただいて、「『弟切草』プレイしましたよ」と書かれていたので、「じゃあ次回作をいっしょにやりませんか?」という話になったのがきっかけですね。 | |||
''''''――''': ''': 手紙というのが時代を表していますね。その後、『かまいたちの夜』シリーズもそうですが、『TRICK×LOGIC』などでも我孫子さんといっしょにやられていますから……。 | |||
'''中村''': 『かまいたちの夜』が今年で20周年ですので、もう20年以上の付き合いですね。 | '''中村''': 『かまいたちの夜』が今年で20周年ですので、もう20年以上の付き合いですね。 | ||
''''''――''': ''': 『かまいたちの夜』を作った当時は、ヒットするだろうという手応えはありましたか? | |||
'''中村''': それこそ、ファミ通さんで連載させていただいて、期待作としてのランキングもどんどん上がって、「これはいけるぞ!」と思っていました(笑)。 | '''中村''': それこそ、ファミ通さんで連載させていただいて、期待作としてのランキングもどんどん上がって、「これはいけるぞ!」と思っていました(笑)。 | ||
''''''――''': ''': ありがとうございます(笑)。『かまいたちの夜』は人によって語るポイントが違うと思うんですが、個人的に思い出深いのが縦読みの"リセットしろ"というメッセージから始まる"チュンソフ党"です。あれは、本当にドキドキしました。ああいった仕掛けがチュンソフトらしいなと。 | |||
'''中村''': あれは、我孫子さんが「こういうことできませんか?」という話で提案してくれたような覚えがあります。確か、「リセットを押したかどうかってわかるんですか?」と聞かれて、「できますよ」と答えたところから、我孫子さんがシナリオを書いてきたんじゃなかったかなあ。 | '''中村''': あれは、我孫子さんが「こういうことできませんか?」という話で提案してくれたような覚えがあります。確か、「リセットを押したかどうかってわかるんですか?」と聞かれて、「できますよ」と答えたところから、我孫子さんがシナリオを書いてきたんじゃなかったかなあ。 | ||
'''中村''': | ''''''――''': ''': リセットは、ふつう押してはいけないボタンなので、余計ドキドキしましたね。そして1年後に、御社の看板タイトルになる『シレン』シリーズが発売。『トルネコの大冒険』の続編ではなかったのは、2作目からはオリジナルのキャラクターにしたいという意図があったのでしょうか? | ||
'''中村''': 『不思議のダンジョン』シリーズとして、『ローグ』から『ネットハック』(PC用ソフト。『ローグ』を進化させ、多くのアイテムやシステムが追加されている)に進化させるときに、ダンジョン内のお店で泥棒をするという、あのスリルをどうしても再現したくて。でも、トルネコだと"自分が商人なのに泥棒なんてやってもいいのか"という点で難しかったんですね。それに、『ドラクエ』の世界観では出しづらいアイテムやモンスターも多かったので、いっそオリジナルでやろうと考え、『シレン』になりました。 | |||
==Questions and Answers (Part 1 - English)== | ==Questions and Answers (Part 1 - English)== | ||
Line 279: | Line 479: | ||
'''—''': | '''—''': I'd like to begin by saying congratulations on Chunsoft's 30th anniversary! In honor of this occasion, I've brought a boatload of Chunsoft and Chunsoft-related games here… | ||
'''Nakamura''': Whoa, amazing! Hah, | '''Nakamura''': Whoa, amazing! Hah, you've even got Tetris+Bombliss there. (laughs) It makes me really happy to be greeted like this—most people aren't aware that we developed that game! (laughs) | ||
'''—''': | '''—''': It's a legendary game. (laughs) | ||
'''Nakamura''': Now that I think I about it, in a certain sense, that may be true. Especially when you consider all the amazing people like Tsunekazu Ishihara (of Pokémon fame) who were involved. | '''Nakamura''': Now that I think I about it, in a certain sense, that may be true. Especially when you consider all the amazing people like Tsunekazu Ishihara (of Pokémon fame) who were involved. | ||
'''—''': Can you tell us how Tetris 2 + Bombliss came to be? I realize | '''—''': Can you tell us how Tetris 2 + Bombliss came to be? I realize we're taking an immediate digression here, but… (laughs) | ||
'''Nakamura''': (laughs) It started when Ishihara played Tetris for the first time, on his computer I believe, and really fell in love with it. He did a bunch of research and learned that it was made by someone in the Soviet Union. Ishihara was planning to go to the Soviet Union to secure the rights, but he discovered that Henk Rogers (creator of The Black Onyx) of Bullet Proof Software (BPS) had just beat him to the punch and got the rights. Ishihara also met with Alexey Pajitnov (the creator of Tetris) when he came to Japan. He learned some greetings and basic expressions in Russian too. (laughs) | '''Nakamura''': (laughs) It started when Ishihara played Tetris for the first time, on his computer I believe, and really fell in love with it. He did a bunch of research and learned that it was made by someone in the Soviet Union. Ishihara was planning to go to the Soviet Union to secure the rights, but he discovered that Henk Rogers (creator of The Black Onyx) of Bullet Proof Software (BPS) had just beat him to the punch and got the rights. Ishihara also met with Alexey Pajitnov (the creator of Tetris) when he came to Japan. He learned some greetings and basic expressions in Russian too. (laughs) | ||
'''—''': He sounds like | '''—''': He sounds like Tetris' number one fan. (laughs) But you're right, all those famous people… it's amazing. | ||
'''Nakamura''': BPS then released a port of Tetris on the Famicom, but the controls in that version | '''Nakamura''': BPS then released a port of Tetris on the Famicom, but the controls in that version didn't allow you to rotate the tetromino pieces while dropping them—it only allowed for "hard drops". At Chunsoft we started playing the Famicom Tetris, and by and by, the desire grew in us to create a version of Tetris that would satisfy our desires as Tetris players… Ishihara, in particular, was so obsessed with Tetris that he wrote a book about it, and he gathered me and Masanobu Endo (the creator of Xevious and Tower of Druaga) together, and entreated us: "Let's make our own Tetris game!!" That was how Tetris 2 + Bombliss got started. | ||
'''—''': At the dawning of the Famicom era, with all the top aces gathered together… | '''—''': At the dawning of the Famicom era, with all the top aces gathered together… that's a once-in-a-lifetime kind of development. | ||
'''Nakamura''': Everyone was so excited about it, it felt like we were back in one of our high school clubs. (laughs) We learned a lot while creating our own Tetris game, and eventually decided to make something with our own original rules, and that was how Bombliss got added to the mix. Ah, thinking about it all now, | '''Nakamura''': Everyone was so excited about it, it felt like we were back in one of our high school clubs. (laughs) We learned a lot while creating our own Tetris game, and eventually decided to make something with our own original rules, and that was how Bombliss got added to the mix. Ah, thinking about it all now, it's very nostalgic for me. | ||
'''—''': Thank you for sharing such a precious story with us. How does it feel now to be celebrating 30 years of Chunsoft? | '''—''': Thank you for sharing such a precious story with us. How does it feel now to be celebrating 30 years of Chunsoft? | ||
'''Nakamura''': Seeing this list of all the games | '''Nakamura''': Seeing this list of all the games we've made over the years, 30 years seems like quite a long time, and yet it also went by so quickly… when I look at that list, and all the things we've done, I'm also filled with a lot of pride. | ||
Line 316: | Line 516: | ||
'''—''': I understand that programming was originally a hobby of yours, which eventually led you into designing your own games. | '''—''': I understand that programming was originally a hobby of yours, which eventually led you into designing your own games. | ||
'''Nakamura''': Indeed, it all begin for me with the game submissions I sent to magazines like I/O, so while it may be 30 years for Chunsoft, if you include the time I made games in high school before establishing the company, it would be more like 34 or 35 years that | '''Nakamura''': Indeed, it all begin for me with the game submissions I sent to magazines like I/O, so while it may be 30 years for Chunsoft, if you include the time I made games in high school before establishing the company, it would be more like 34 or 35 years that I've been making games. | ||
'''—''': Back then, in high school, did you believe such a long career making games was your future? | '''—''': Back then, in high school, did you believe such a long career making games was your future? | ||
'''Nakamura''': At the time, I | '''Nakamura''': At the time, I wasn't thinking this would be a long-term thing. My goal in those days was just to try and re-create, on my computer, something that resembled the games I had played at the game center. Later, with the release of the Famicom and other home consoles, I realized it would now be possible to play arcade-quality games in the comfort of your home. But, to be honest, when I look at smart phone games and modern consoles, and how much power they contain in such a small device—it's really all the more amazing to me, having lived through and experienced the early PC days. | ||
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'''—''': Namco, that makes sense. | '''—''': Namco, that makes sense. | ||
'''Nakamura''': Well, | '''Nakamura''': Well, it's because at the game centers back then, Namco's games really shined. (laughs) | ||
'''—''': | '''—''': It's quite the bold ambition to want to start your own company like that. Were you more inclined toward the administration and management side, or the creator side? | ||
'''Nakamura''': I | '''Nakamura''': I wouldn't say I never thought about practical administrative things, but I wasn't very conscious of it. My love for games was the starting point for me, and from there I gradually became obsessed with creating them myself. | ||
Line 354: | Line 554: | ||
'''—''': | '''—''': I'd like to trace back some of that history, using this chronology and list we've got here to identify some of the key "turning points" for Chunsoft. And the first turning point I can see, was when you first established Chunsoft as a company. You were still in college, then? | ||
'''Nakamura''': | '''Nakamura''': That's right. | ||
Line 363: | Line 563: | ||
'''Nakamura''': Since high school, I had always thought I would go to Tokyo and start a game company. When I actually did make it to Tokyo and began college, I started talking about those plans with my friends. So four or five of us started using my apartment as our office, where we made games like Door Door mk II and Newtron. | '''Nakamura''': Since high school, I had always thought I would go to Tokyo and start a game company. When I actually did make it to Tokyo and began college, I started talking about those plans with my friends. So four or five of us started using my apartment as our office, where we made games like Door Door mk II and Newtron. | ||
Then we said, hey, why | Then we said, hey, why don't we try and register as an official corporation and rent out an office, even if it's a single room. It was just before I was going into my second year of college, during spring break, that we went around with a realtor and found a good place, and Chunsoft was officially established that April. | ||
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'''—''': I imagine many people from this generation | '''—''': I imagine many people from this generation don't know the origins of the "Chunsoft" name… would you mind explaining it again here? | ||
'''Nakamura''': | '''Nakamura''': You're probably right. (laughs) I liked mahjong in high school, and played it a lot. One of my friend's nicknames for me was "Chun", from the mahjong tile. We used that name for the main character "Chun-kun" in Door Door. That game turned out to be a hit, and we thought it was a good omen, so we chose Chunsoft as our company name. | ||
'''—''': After establishing Chunsoft, the Famicom came out. What was your first impression of it? | '''—''': After establishing Chunsoft, the Famicom came out. What was your first impression of it? | ||
'''Nakamura''': I thought | '''Nakamura''': I thought "This is amazing!" I believe the first game for the Famicom was Donkey Kong. I remember being shocked when I saw it: I couldn't believe you could now play an arcade-quality game at home, at that price! | ||
'''—''': And did you think you wanted to get into Famicom development yourself? | '''—''': And did you think you wanted to get into Famicom development yourself? | ||
'''Nakamura''': I did, yeah. I was imagining all the cool things | '''Nakamura''': I did, yeah. I was imagining all the cool things we'd be able to do with it. | ||
'''—''': The first Famicom game you made was a port of Door Door, and then came The Portopia Serial Murder Case only 4 months later. Including yourself, how many developers were working at Chunsoft then? | '''—''': The first Famicom game you made was a port of Door Door, and then came The Portopia Serial Murder Case only 4 months later. Including yourself, how many developers were working at Chunsoft then? | ||
'''Nakamura''': We had three or four programmers, not including me. We had one person working on graphics, generally, so about 5-6 people in total. Today | '''Nakamura''': We had three or four programmers, not including me. We had one person working on graphics, generally, so about 5-6 people in total. Today it's hard to believe we made games with so few people back then. (laughs) | ||
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'''—''': Would you call Space Invaders a | '''—''': Would you call Space Invaders a "formative experience" for you, then? | ||
'''Nakamura''': Well, before Space Invaders—even before there were game centers—I would play pinball games that were set up at the rooftop level of department stores. Also, those old gunscope games, where you pull the trigger and the tanks would go crashing down… remember those? | '''Nakamura''': Well, before Space Invaders—even before there were game centers—I would play pinball games that were set up at the rooftop level of department stores. Also, those old gunscope games, where you pull the trigger and the tanks would go crashing down… remember those? | ||
Line 403: | Line 603: | ||
'''—''': Ah! Yeah, I remember them! | '''—''': Ah! Yeah, I remember them! | ||
'''Nakamura''': I played those, and also driving games, the ones where a steering wheel was affixed to the machine, and | '''Nakamura''': I played those, and also driving games, the ones where a steering wheel was affixed to the machine, and you'd drive these twisty paper roads that scrolled downwards. I loved those, I played them a lot. | ||
'''—''': It sounds like you played many analogue games before the digital wave came crashing in. | '''—''': It sounds like you played many analogue games before the digital wave came crashing in. | ||
'''Nakamura''': Yeah. So before Space Invaders, there were block-breaking games, and that game where the little clown dances around popping baloons, | '''Nakamura''': Yeah. So before Space Invaders, there were block-breaking games, and that game where the little clown dances around popping baloons, "Circus"… I played the heck out of those too. And then, before long, we entered the era of Space Invaders… I played that game so much that I could pretty much play forever on a single credit. But there were bugs, and sometimes I'd just suddenly die for no reason. | ||
'''—''': Hah, really? | '''—''': Hah, really? | ||
'''Nakamura''': There was a bug that would cause your ship to explode even though you | '''Nakamura''': There was a bug that would cause your ship to explode even though you didn't do anything. Otherwise, though, I could play all day for 100 yen. The staff used to have to come over and tell me, "Excuse me sir, but we're closing soon…" (laughs) | ||
'''—''': (laughs) | '''—''': (laughs) | ||
'''Nakamura''': I guess | '''Nakamura''': I guess that's a good problem for a game center to have. (laughs) But yeah, I was that obsessed with Space Invaders. | ||
'''—''': And how did it come about that you started using a computer to make your own games? | '''—''': And how did it come about that you started using a computer to make your own games? | ||
'''Nakamura''': Before high school, I had no interest in computers, but in school we got to use them in class, and there was a club centered around them. It | '''Nakamura''': Before high school, I had no interest in computers, but in school we got to use them in class, and there was a club centered around them. It wasn't an official school club—just a group of individual enthusiasts—but there I saw a demonstration of some Heiankyo Alien-type game. When I saw it, my thought was, "Hey, if I join these guys, I can play games every single day for free!" (laughs) That was my motivation for joining the club, and it was also my first real encounter with computers. After I joined them, one of the older students taught me programming, and I found programming to be totally fascinating—not just games, but all of it. After that I was hooked. | ||
Line 436: | Line 636: | ||
'''—''': | '''—''': It's like the programming itself was a kind of game, right? And from there, you became interested in computers themselves. | ||
'''Nakamura''': | '''Nakamura''': That's right. I remember I got a part-time job to save up money and buy a computer, but I was very confused about which computer I should buy. There was the NEC PC-8001, the Sharp MZ80, and many other choices. | ||
The MZ was the mainstream choice then, as the NEC had only just come out, but the NEC could use color, and there was also this really popular game that had been submitted to I/O called | The MZ was the mainstream choice then, as the NEC had only just come out, but the NEC could use color, and there was also this really popular game that had been submitted to I/O called "Geimu Kyoujin"… the guy who made that game had used an NEC computer, and I was a huge fan of his Space Invaders-clone game too. "I want to do that too!", I thought to myself, and went with the NEC. Now that I look back on it, it was a very fateful choice… who knows how different my life would have ended up had I chose the MZ80. | ||
'''—''': Another | '''—''': Another "turning point", then. | ||
'''Nakamura''': Yeah, I think so. | '''Nakamura''': Yeah, I think so. | ||
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'''—''': Did you always stick with NEC computers? | '''—''': Did you always stick with NEC computers? | ||
'''Nakamura''': I used NEC computers from the PC-8001 up to the 8801. At that time, my computer was hooked up to my CRT tv, so you | '''Nakamura''': I used NEC computers from the PC-8001 up to the 8801. At that time, my computer was hooked up to my CRT tv, so you couldn't display a lot of text like you can today. It was limited to something like 40×20 characters. And being a tv CRT screen, it was hard to see. (laughs) So I did all my programming in black and white. For debugging, too, back then printers were still too expensive to own individually, so I had to check each line of code one-by-one as I went. | ||
'''—''': You got to experience that very early era of no sound and no color. | '''—''': You got to experience that very early era of no sound and no color. | ||
'''Nakamura''': Yeah. We counted memory in kilobytes… the words | '''Nakamura''': Yeah. We counted memory in kilobytes… the words "megabyte" and "gigabyte" were unknown to us, and frankly, I think that much space would have been beyond our comprehension. (laughs) | ||
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'''—''': Chunsoft worked within a diverse number of genres back then. You started with action games like Door Door and Newtron, but also did things like Portopia, an adventure game. | '''—''': Chunsoft worked within a diverse number of genres back then. You started with action games like Door Door and Newtron, but also did things like Portopia, an adventure game. | ||
'''Nakamura''': When people think of Chunsoft, I think they mostly think of Dragon Quest and our sound novel games, but originally we focused on action, or what you might call | '''Nakamura''': When people think of Chunsoft, I think they mostly think of Dragon Quest and our sound novel games, but originally we focused on action, or what you might call "real-time" games. And there were other games we made then, from a wide variety of genres, which never garnered much popularity. | ||
'''—''': Were you essentially making the games that you all wanted to play yourselves, then? | '''—''': Were you essentially making the games that you all wanted to play yourselves, then? | ||
'''Nakamura''': That was part of it. Also, | '''Nakamura''': That was part of it. Also, we'd also see an arcade game we thought looked neat, then try and re-create it "by ear", and then submit that to the various computer magazine contests. We did that with Konami's Scramble, for instance. | ||
'''—''': It seems like those programming competitions were really a defining feature of that era. | '''—''': It seems like those programming competitions were really a defining feature of that era. I'd like to circle back now and ask about the creation of Door Door… your meeting with Enix was another fateful turning point, was it not? | ||
'''Nakamura''': Yeah. Right when I started my third year of high school, Enix held a computer programming contest. The NEC PC-98 had just come out, but it cost around 300,000 yen (3000 USD), which was too expensive for a high school student. There was an NEC shop near my house, and one day the owner handed me an Enix flyer for the contest, saying | '''Nakamura''': Yeah. Right when I started my third year of high school, Enix held a computer programming contest. The NEC PC-98 had just come out, but it cost around 300,000 yen (3000 USD), which was too expensive for a high school student. There was an NEC shop near my house, and one day the owner handed me an Enix flyer for the contest, saying "Nakamura, if you win this contest the prize is 1,000,000 yen (10,000 USD)." And the game I created for that contest was Door Door. | ||
'''—''': Wow, you just created it all of a sudden like that! | '''—''': Wow, you just created it all of a sudden like that! | ||
'''Nakamura''': Back then, copyright with computer games was murkier than it is today, and my first thought was to make a knock-off of | '''Nakamura''': Back then, copyright with computer games was murkier than it is today, and my first thought was to make a knock-off of Namco's Dig Dug, which I was really into at the time. However, the idea of just creating an imitation started to bug me, and people around me told me that if I was going to submit something to Enix, I might as well aim for an original game. Of course it seems obvious now that I think back on it. (laughs) So I started to think about how I could translate the appeal of Dig Dug into a different form, and Door Door was the result. | ||
'''—''': Ah, that makes sense. The rocks in Dig Dug are kind of like the doors you open in Door Door… | '''—''': Ah, that makes sense. The rocks in Dig Dug are kind of like the doors you open in Door Door… | ||
'''Nakamura''': Yeah. | '''Nakamura''': Yeah. It's the same basic concept, of herding enemies to defeat them. | ||
'''—''': You were awarded the runner-up prize for Door Door. I believe the first place prize went to Kazuo Morita, the creator of | '''—''': You were awarded the runner-up prize for Door Door. I believe the first place prize went to Kazuo Morita, the creator of "Morita Shogi". | ||
'''Nakamura''': Yeah. He | '''Nakamura''': Yeah. He didn't win for his shogi game though—it was actually a war simulation game he submitted, "Morita Battlefield." | ||
'''—''': That contest was your connection to Enix… and I believe Yuji Horii also submitted a game. | '''—''': That contest was your connection to Enix… and I believe Yuji Horii also submitted a game. | ||
'''Nakamura''': Horii submitted a tennis game called | '''Nakamura''': Horii submitted a tennis game called "Love Match Tennis"… I'm surprised I still remember the title, especially seeing as I have a hard time remembering the titles of most recent games. (laughs) | ||
Line 515: | Line 715: | ||
'''—''': Was it there that you started talking about making a game together? | '''—''': Was it there that you started talking about making a game together? | ||
'''Nakamura''': No, it | '''Nakamura''': No, it didn't happen right away. Later, after Chunsoft made Newtron, the Famicom came out, and we ported Door Door for it. In due course we approached Enix about porting Newtron as our second Famicom title. However, in those talks, Enix expressed a preference for a more adult-oriented title, and suggested we make some kind of adventure game next. | ||
I said I was worried about our ability to make a good adventure game given the memory constraints of the Famicom, but Chida suggested The Portopia Serial Murder Case, which could work because it only had 20 pictures. From there we met with Yuji Horii, who was the scenario writer for Portopia. That game was the first project Horii and I worked together on. | I said I was worried about our ability to make a good adventure game given the memory constraints of the Famicom, but Chida suggested The Portopia Serial Murder Case, which could work because it only had 20 pictures. From there we met with Yuji Horii, who was the scenario writer for Portopia. That game was the first project Horii and I worked together on. | ||
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'''—''': So porting Portopia to the Famicom was a vital link in the chain, then. | '''—''': So porting Portopia to the Famicom was a vital link in the chain, then. | ||
'''Nakamura''': I | '''Nakamura''': I didn't know if we'd actually be able to make Portopia work on the Famicom, but we employed a lot of tricks with the graphics and text and somehow pulled it off. Now that I think back on it, Portopia too was a pretty impressive feat given the space limitations. | ||
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'''—''': All of it?! | '''—''': All of it?! | ||
'''Nakamura''': | '''Nakamura''': That's how things worked back then. (laughs) Though starting with Dragon Quest II, I did less. | ||
Line 545: | Line 745: | ||
'''—''': Given your 30 year history, | '''—''': Given your 30 year history, that's surprisingly early! Can you tell us more about that time? | ||
'''Nakamura''': As I mentioned above, I had worked with teams before, but our roles were always clearly defined, and everyone worked on their parts independently, more or less. But with Dragon Quest II, for the first time we had 3 or 4 different people working on the programming. It was my first time working together with others like that, and in the beginning we had a really hard time deciding the things that needed to be decided, and we began without really having a meeting of the minds, and this caused all kinds of problems. Halfway into the development bugs started cropping up and things suddenly started going awry, but no one knew in whose portion of the programming the bugs resided. None of us were true | '''Nakamura''': As I mentioned above, I had worked with teams before, but our roles were always clearly defined, and everyone worked on their parts independently, more or less. But with Dragon Quest II, for the first time we had 3 or 4 different people working on the programming. It was my first time working together with others like that, and in the beginning we had a really hard time deciding the things that needed to be decided, and we began without really having a meeting of the minds, and this caused all kinds of problems. Halfway into the development bugs started cropping up and things suddenly started going awry, but no one knew in whose portion of the programming the bugs resided. None of us were true "professionals" then—we still had one foot in the student world—so everyone started blaming everyone else" "This is your fault!!", and it created a hostile atmosphere in the development. | ||
Honestly, during that project, I spent more time mediating between conflicts than I did debugging. (laughs) And because of all that, the release date got delayed. The finished game also had a lot of balance issues, despite how much of a struggle it was… it was such a disaster that I actually thought about quitting altogether. | Honestly, during that project, I spent more time mediating between conflicts than I did debugging. (laughs) And because of all that, the release date got delayed. The finished game also had a lot of balance issues, despite how much of a struggle it was… it was such a disaster that I actually thought about quitting altogether. | ||
Line 554: | Line 754: | ||
'''—''': Wow, it was that bad… | '''—''': Wow, it was that bad… | ||
'''Nakamura''': Yeah. However, at the same time, when I was asked what the best experience | '''Nakamura''': Yeah. However, at the same time, when I was asked what the best experience I've had in my 30 years at Chunsoft was, I can also point to the release day of Dragon Quest II, when we saw people standing in those amazingly long lines to purchase the game. | ||
Line 564: | Line 764: | ||
'''—''': It felt like the popularity of Dragon Quest took a huge jump from DQ1 to DQ2. | '''—''': It felt like the popularity of Dragon Quest took a huge jump from DQ1 to DQ2. | ||
'''Nakamura''': From our perspective as developers, when we played the finished version of DQ1, we all thought it was really well done, the balance was good, and we were convinced | '''Nakamura''': From our perspective as developers, when we played the finished version of DQ1, we all thought it was really well done, the balance was good, and we were convinced "this is going to be huge!" However, despite steady sales, it didn't have the impact we had hoped for, and in light of that, when DQ2 exploded, I was a little surprised: "wow, so many people are playing a game that is this difficult…". I still feel that way today. (laughs) | ||
Line 574: | Line 774: | ||
'''—''': Even you think so too! (laughs) | '''—''': Even you think so too! (laughs) | ||
'''Nakamura''': Everyone did. (laughs) I thought it was brutal when I actually played it myself. And yet, perhaps | '''Nakamura''': Everyone did. (laughs) I thought it was brutal when I actually played it myself. And yet, perhaps it's partly that challenge that contributed to the series' growth in popularity, as everyone was talking about it. And back then you couldn't just look up solutions online. | ||
'''—''': DQ2 came out very shortly after the first game, too. You said it was delayed, but even then, it was less than a year between them. That seems unbelievably fast to me. | '''—''': DQ2 came out very shortly after the first game, too. You said it was delayed, but even then, it was less than a year between them. That seems unbelievably fast to me. | ||
'''Nakamura''': And yet we were constantly told | '''Nakamura''': And yet we were constantly told "you're late!" (laughs) | ||
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'''—''': I see. | '''—''': I see. That's another feature of the cartridge era, no doubt. Well, I want to ask more about the Dragon Quest series, but I'd also like to move on to our next "turning point"… | ||
'''Nakamura''': Yeah, at this rate, | '''Nakamura''': Yeah, at this rate, we'll never get past the early days of Chunsoft. (laughs) | ||
'''—''': I think the next turning point, then, would be when Chunsoft become a publisher with Otogirisou. That game was released before Dragon Quest V, but the decision to become a bonafide publisher came earlier. How long had you been thinking about going that route? | '''—''': I think the next turning point, then, would be when Chunsoft become a publisher with Otogirisou. That game was released before Dragon Quest V, but the decision to become a bonafide publisher came earlier. How long had you been thinking about going that route? | ||
'''Nakamura''': I think more than wanting to be a publisher per se, we just wanted to make our own original games. Unfortunately, with each successive Dragon Quest game, the scope of the developments kept getting bigger, longer, and requiring more and more staff… there was no free time for us to work on our own game. However, once the Super Famicom came out, we took that as our cue: | '''Nakamura''': I think more than wanting to be a publisher per se, we just wanted to make our own original games. Unfortunately, with each successive Dragon Quest game, the scope of the developments kept getting bigger, longer, and requiring more and more staff… there was no free time for us to work on our own game. However, once the Super Famicom came out, we took that as our cue: "if we're going to become a publisher, it's now or never." Masanobu Endo had actually just created his company Game Studio for the same purpose, so we talked things over, and we decided to both approach Nintendo at the same time about licensing. | ||
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'''—''': And then Otogirisou was the first game Chunsoft published under their own name, in 1992. | '''—''': And then Otogirisou was the first game Chunsoft published under their own name, in 1992. | ||
'''Nakamura''': Nintendo was very enthusiastic and readily gave their approval, and we had wanted to release something earlier… however, we were busy assisting Enix with Dragon Quest V, so we | '''Nakamura''': Nintendo was very enthusiastic and readily gave their approval, and we had wanted to release something earlier… however, we were busy assisting Enix with Dragon Quest V, so we couldn't get anything started any earlier. When the time came, we asked ourselves what we could make that wouldn't be too time-consuming in terms of programming and graphics, and the "sound novel" was our answer. | ||
'''—''': I see. Otogirisou definitely has a lot of volume to it, but structurally it is a simple game, for sure. | '''—''': I see. Otogirisou definitely has a lot of volume to it, but structurally it is a simple game, for sure. | ||
'''Nakamura''': Yeah. Of course, that | '''Nakamura''': Yeah. Of course, that wasn't our only reason for choosing sound novels. The Super Famicom could do far more realistic sounds than the Famicom, even voice sampling, and we thought the sound novel would be a good format to capitalize on those new features. | ||
'''—''': You showed an early prototype of Otogirisou at the Nintendo Space World event, and there were no background graphics at all at that time. | '''—''': You showed an early prototype of Otogirisou at the Nintendo Space World event, and there were no background graphics at all at that time. | ||
'''Nakamura''': | '''Nakamura''': That's right. Originally, the background was just a textured page (like from a book) with text, with the occasional animation like lightning or a car coming at you. However, when we announced the game, our marketing partners weren't thrilled. "I get what you're going for, but it's going to be very hard to sell like this." The gaming magazines said the same, that it would be hard for them to feature. (laughs) Partly for that reason, we added about 20 different backgrounds that change depending on the scene. | ||
'''—''': Being a new genre, I can imagine it was difficult for people to evaluate. It strikes me as very ambitious, though, for a new publisher to come out the gates with a brand new genre! | '''—''': Being a new genre, I can imagine it was difficult for people to evaluate. It strikes me as very ambitious, though, for a new publisher to come out the gates with a brand new genre! | ||
'''Nakamura''': Yeah, I | '''Nakamura''': Yeah, I don't know. People have said that to me a lot, but if you look back at the very beginning of video games, for me, the conception of "genre" didn't exist. Take action games, for example: within that label you had shooting games, you had stuff like Pac Man and Dig Dug, and you had more puzzle-y games too. It was very diverse. On the same note, with adventure games, there were Ascii Magazine's games like Ometesandou Adventure and Minamiseizan Adventure, which were pure text adventures… but you also had things like Mystery House, which had a few pictures, or war simulation games like Fleet Commander. I played all those, and while I recognized there were many different types of games, I never thought about it in terms of genres. | ||
'''—''': Ah, those games you mentioned… so much nostalgia. (laughs) | '''—''': Ah, those games you mentioned… so much nostalgia. (laughs) | ||
'''Nakamura''': (laughs) There was one point in particular that we really wanted to challenge ourselves on, with Otogirisou. Despite the fact that Dragon Quest had been such a hit, I had friends and family members who | '''Nakamura''': (laughs) There was one point in particular that we really wanted to challenge ourselves on, with Otogirisou. Despite the fact that Dragon Quest had been such a hit, I had friends and family members who hadn't really played it much, and when I asked them why, they told me things like "It's hard to read because it's all hiragana" or "I can't figure out how to use the controller." I thought I would like to try creating a game that allowed those kinds of people the opportunity to experience games and get used to using a controller. | ||
To that end, a game where all you had to do was read would be best—the controls, too, would be simple and only require you to select from different choices. It would be a game where you could enjoy the twists and turns of a good story, and that way, you | To that end, a game where all you had to do was read would be best—the controls, too, would be simple and only require you to select from different choices. It would be a game where you could enjoy the twists and turns of a good story, and that way, you wouldn't need good reflexes, and it should be something that the aforementioned people could play. | ||
As for the hiragana issue, the Super Famicom hardware allowed us to use kanji script, and that was huge. Furthermore, based on my own experience, I felt like the text adventure genre | As for the hiragana issue, the Super Famicom hardware allowed us to use kanji script, and that was huge. Furthermore, based on my own experience, I felt like the text adventure genre didn't really have a good showing on the current consoles, and I wanted to change that. Otogirisou, then, was the solution I came up for all those various problems. | ||
'''—''': How were the sales? | '''—''': How were the sales? | ||
'''Nakamura''': We initially shipped out 120,000 units. At the time I remember wishing we had sold a little more (laughs), but Otogirisou had a really long tail, and we kept delivering extra shipments of 10 or 20,000 at a time, and ultimately it sold over 300,000. In the beginning, especially, it was often sold out, and people began to talk about it as this mysterious game: | '''Nakamura''': We initially shipped out 120,000 units. At the time I remember wishing we had sold a little more (laughs), but Otogirisou had a really long tail, and we kept delivering extra shipments of 10 or 20,000 at a time, and ultimately it sold over 300,000. In the beginning, especially, it was often sold out, and people began to talk about it as this mysterious game: "I've heard of it, but I've never seen it in stores…" Maybe it helped contribute to the scariness. (laughs) | ||
Line 643: | Line 843: | ||
'''—''': Deciding to part ways with such a huge development as Dragon Quest—that seems like another incredibly fateful decision… did you ever have second thoughts about it? | '''—''': Deciding to part ways with such a huge development as Dragon Quest—that seems like another incredibly fateful decision… did you ever have second thoughts about it? | ||
'''Nakamura''': We really wanted to make our own games, our way, and we had already made five Dragon Quest games so we felt a little burned out on it by then, like | '''Nakamura''': We really wanted to make our own games, our way, and we had already made five Dragon Quest games so we felt a little burned out on it by then, like we'd given all we could. So there wasn't a lot of wavering there, no. | ||
'''—''': Torneko uses Rogue as its base (as do the Fushigi no Dungeon games), and just as | '''—''': Torneko uses Rogue as its base (as do the Fushigi no Dungeon games), and just as Chunsoft's sound novels forged a new genre, I believe Torneko was the beginning of "roguelike" games on home consoles. | ||
'''Nakamura''': The Fushigi no Dungeon games have all been produced by my colleague Seiichiro Nagahata. He loved Rogue and used to play it all day long. I remember when he showed me Rogue: | '''Nakamura''': The Fushigi no Dungeon games have all been produced by my colleague Seiichiro Nagahata. He loved Rogue and used to play it all day long. I remember when he showed me Rogue: "Look at how fun this game is! Let's make a game like this next!" However, the first time I played it, I had no idea what the hell was going on. (laughs) I especially remember having no idea what the different items did. I was stuck for 2 or 3 days, not knowing what to do. Then, at some point I obtained two of the same item, and by using one of them I was able to identify and remember what it did. Once I realized that was the appeal of the game—figuring out what everything did on your own—I was hooked. | ||
'''—''': The original Rogue only used alphanumeric symbols, so it was really difficult to get a grasp on. (laughs) The | '''—''': The original Rogue only used alphanumeric symbols, so it was really difficult to get a grasp on. (laughs) The '@' symbol was used for the hero. | ||
'''Nakamura''': Exactly. (laughs) And | '''Nakamura''': Exactly. (laughs) And '!' was used for potions. | ||
Line 668: | Line 868: | ||
'''—''': Looking at | '''—''': Looking at Chunsoft's games from this point onwards, I get the sense you had two teams working: one for sound novels, and one for the Fushigi no Dungeon series. Your next sound novel, Kamaitachi no Yoru, was a huge hit. This was the start of a long relationship between Chunsoft and Kamaitachi no Yoru's scenario writer Abiko Takemaru (the mystery writer for the Hayamisankyoudai series). | ||
'''Nakamura''': Yeah. We worked with him on many, many games after this. (laughs) | '''Nakamura''': Yeah. We worked with him on many, many games after this. (laughs) | ||
Line 675: | Line 875: | ||
'''—''': Do you mind if I ask how you met him? | '''—''': Do you mind if I ask how you met him? | ||
'''Nakamura''': A lot of the feedback postcards we got for Otogirisou asked us to do a mystery game next. So we sent out letters to about 20 different popular mystery writers: | '''Nakamura''': A lot of the feedback postcards we got for Otogirisou asked us to do a mystery game next. So we sent out letters to about 20 different popular mystery writers: "We're making something called a 'sound novel', would you be interested in writing for us?" Abiko sent us a reply, saying he had played and liked Otogirisou, and so we invited him to work with us on our next game. | ||
'''—''': Ah, real letters… that really sends me back. Abiko worked with you on the sequels to Kamaitachi no Yoru, but he also helped out on TRICKxLOGIC, I believe. | '''—''': Ah, real letters… that really sends me back. Abiko worked with you on the sequels to Kamaitachi no Yoru, but he also helped out on TRICKxLOGIC, I believe. | ||
'''Nakamura''': This year is the 20th anniversary of Kamaitachi no Yoru, so | '''Nakamura''': This year is the 20th anniversary of Kamaitachi no Yoru, so it's been a 20-year long working relationship. | ||
'''—''': When you were making Kamaitachi no Yoru, did you have the sense it would be a hit? | '''—''': When you were making Kamaitachi no Yoru, did you have the sense it would be a hit? | ||
'''Nakamura''': Actually, it was kind of thanks to Famitsu, but you guys printed some columns that ranked | '''Nakamura''': Actually, it was kind of thanks to Famitsu, but you guys printed some columns that ranked people's excitement for new games, and Kamaitachi no Yoru kept climbing up… it made me think, "This is going to be a hit!" (laughs) | ||
'''—''': Thank you. (laughs) People have different things they remember about Kamaitachi no Yoru, but for me personally, I remember how one of the side-stories began with the spooky text "Press Reset…" That really got my heart racing. That kind of a trick felt characteristically Chunsoft. | |||
'''Nakamura''': I remember that was something Abiko suggested. He asked "Can we do something like this?" If I remember, he asked if the hardware could recognize if the system had been reset, and I answered that it could. He actually only began writing that side-scenario after he learned that trick was possible. | |||
''''''—''': ''': Normally the reset button is something you're not supposed to press, so I was super nervous. Well then, one year later, you put out the first game of your flagship series, Shiren the Wanderer. Why did you decide on creating a game with an original character, as opposed to making a direct sequel to Torneko? | |||
'''Nakamura''': When Nethack came out, it was an evolution on Rogue, and allowed for thrilling new actions like being able to steal from the shops inside dungeons. We wanted to replicate that excitement with our next roguelike game. But Torneko was a merchant and it would be weird for him to steal. On top of that, there were a lot of items and monsters in the Dragon Quest universe that didn't translate very well to a roguelike setting, so we decided we'd write a brand new scenario, and that became Shiren. | |||
==Questions and Answers (Part 2 - Japanese)== | |||
===高い壁となった『街』の存在=== | |||
'''――''': スーパーファミコンとゲームボーイで『風来のシレン』を発売した後、プレイステーション(以下、PS)、セガサターン、ニンテンドウ 64の時代になりますね。 | |||
'''中村''': チュンソフトとして最初に出したのは、サターンで『街』ですね。スーパーファミコンから、いろいろなプラットフォームが出てきて、さらにはCD-ROMにもなった時代でした。 | |||
'''――''': いろいろなところで語り尽くされていると思うんですが、『街』というタイトルは、実写という点でも、ザッピングのボリュームでも、本当に異質なタイトルだと思うんです。 | |||
'''中村''': もともと、『弟切草』の脚本を書いてくださった長坂さん(長坂秀佳氏)が、アイデアを出してくれたんですね。渋谷のスクランブル交差点で信号待ちをしているときに、いっぱい並んでいる人がいて、みんなそれぞれの人生があって、たまたま同じ場所にいるけど、その人たちを追いかけたら、それぞれにドラマがあるんじゃないか。しかも、ちょっと肩がぶつかったりすると、その人の人生が変わったりして……、というのをドラマにするとおもしろくなるはずだ、という提案をいただいて。そこからスタートでしたね。だから、いまでこそ『街』は10人の主人公(基本は8人。隠しシナリオの青井則生と高峰厚士を加えて10人。PSP版では、さらに追加される)の物語ですが、最初はスクランブル交差点にいる100人の話という構想だったんです。それが、いざ書き始めるとぜんぜん書けなくて(笑)。それで50人、30人と減っていって、最終的に10人になりました。 | |||
'''――''': 『街』の100人構想ありましたね! 懐かしい。実写になったのは、渋谷という題材の影響でしょうか? | |||
'''中村''': 最初に長坂さんが提案してくれたときに、"カメラで実写"というのがあったんですね。あと、ROMからCD-ROMになって容量が増えたということも、その要因でした。容量が増えて何ができるかと考えると、グラフィックや画像データが潤沢に使えると思ったんです。当時、ほかのゲームでは3Dグラフィックだなんだと言っているなかで、『弟切草』でグラフィックよりもサウンドの進化を取ったように、『街』は実写のグラフィックに進んでいきました。それと、主人公は10人でも、登場人物はなんだかんだで100人近くいたんですね。この人たちを絵で描き分けるのもたいへんだし、アニメスタジオならまだしも、当時は10人ぐらいのグラフィックのメンバーで、ドット絵を何枚書けばいいのかと考えたら、現実味がなかった。そういう意味も含めて、実写という選択肢に至りました。 | |||
'''――''': とはいえ、実際に実写の撮影をすると、いろいろな問題や難しさが出てきたと思うのですが……。 | |||
'''中村''': 最初は、ビデオを回して一時停止の絵を切り出せばいいと思っていたんです。でも、それで実際にやってみたんですが、一時停止の絵は単なる一時停止にしか見えないんですね。おもしろいことに。いや、おもしろくないんですが(笑)。 | |||
'''――''': (笑)。 | |||
'''中村''': 一時停止なので、「早く再生ボタンを押して!」と言いたくなる絵ばかりになってしまって、気持ちのいいマンガのカットのような絵にならなくて。それで、ポーズを取って、カメラで1枚ずつ撮らないと、魅力のある絵にならないというのが、やってみてわかったことでした。『428~封鎖された渋谷で~』の時代は、デジカメが当たり前になっていたわけですが、『街』の当時は出始めたばかりで、プロカメラマンでも、デジカメを持っている人はほとんどいなかったんですね。ですので、フィルムで撮って、それを現像に持ち込んでCD-ROMに焼いてもらって……。「これは違う」となると、また後日セッティングして撮り直したので、たいへんな大変な手間がかかりました(苦笑)。 | |||
'''――''': 撮り直しもあったんですね! | |||
'''中村''': そのうえで、「この看板、マズイよね」というものは、Photoshopなどで画像を修正して、結果、中身を作ることよりも、画像に関する労力が多くて、「ドットで書いても同じぐらいの労力だったかもね」と話していました(笑)。でも、いまの渋谷を見ると、『街』の風景とはぜんぜん違いますよね。ある種、古い渋谷の記録になっているかもしれません。 | |||
'''――''': 映像的なインパクトもそうですが、ザッピングなど、ゲームとしての評価も非常に高かったと思います。 | |||
'''中村''': ありがとうございます。でも、それまで自分がゲームを作ってきて、できたものに対する手応えやユーザーさんの反応というのは、ある程度自分の想像通りに来ていたんですが、この『街』という作品で、初めて壁にぶつかった想いがあります。 | |||
'''――''': 壁ですか。 | |||
'''中村''': それなりにおもしろいものはできたし、自分なりに手応えはあったのですが、そこまでの売上にはならなかったんですね。ロングスパンで売れて、13万本くらいだったかな。売れなくて評価も低かったら諦められるんですが、ファミ通さんのランキングでもずっと上位に入っていましたし、いろいろと評価をいただいているのに、なぜ売れないのかと、かなり悩んでいました。ユーザーさんの評判も含め、いろいろと話を聞いて、実写がダメだったとか、もっとアイドルがいないとダメとか、いろいろ言われましたけどね(苦笑)。考えさせられることの多い作品だったと思います。 | |||
'''――''': 実写は拒否反応が大きかったという話はありましたが、でも『街』のPS版でシルエットを入れても……。 | |||
'''中村''': そうなんです。PS版でシルエットを入れたんですが、今度は「やっぱり実写のほうがいい」と言われたりしました(笑)。 | |||
'''――''': (笑)。いまお聞きできるのでれば、当時、PSとサターンの2機種で、サターンを選んだ経緯をおうかがいしたいのですが。 | |||
'''中村''': ひと言でいうと、セガさんが非常にプッシュしてくださり、いろいろな協力をいただけたんですね。開発資金のご協力もそうですし、当時は入交さん(入交昭一郎氏。ホンダを経て、セガの社長に就任した)が社長で、東急百貨店や西武百貨店などの撮影許可も取っていただいたりしました。 | |||
'''――''': ああ、なるほど。 | |||
'''中村''': いろいろと熱いご協力をいただけて。それもあって、のちに"セガ×チュンプロジェクト"というものが立ち上がりました。 | |||
'''――''': その後、PSでサウンドノベルのリメイクシリーズ"サウンドノベル・エボリューション"、『ドラゴンクエストキャラクターズ トルネコの大冒険2 不思議のダンジョン』を出して、ニンテンドウ 64で『不思議のダンジョン 風来のシレン2 鬼襲来!シレン城!』を発売されます。当時、『シレン2』は延期を重ねていた思い出があります……。 | |||
'''中村''': はい。すみません(苦笑)。3Dグラフィックで本格的にゲームを作ったのは、これが最初だったので、苦労した部分も多かったですね。 | |||
'''――''': 『シレン』シリーズは、その後ゲームボーイカラーの『不思議のダンジョン 風来のシレンGB2 砂漠の魔城』、『月影村の怪物』のWindows版やインターネット版、そして『不思議のダンジョン 風来のシレン外伝 女剣士アスカ見参!』と、かなり積極的に出されています。 | |||
'''中村''': 当時、会社も大きくなっていたので、いろいろなハードを研究して、その成果を出せる状態になっていたんだと思います。 | |||
'''――''': でも、たとえばインターネットを使った週替わりダンジョンや、ゲームボーイの通信ケーブルを使った"風来救助隊"など、いま考えると、かなり時代を先取りしていますよね。 | |||
'''中村''': PCや携帯電話、インターネットもそうですが、社内にいろいろなことに興味を持っているメンバーがいたので、研究を兼ねて始めたら、じゃあ商品化しようかといった感じで動いていましたね。 | |||
'''――''': 新しいもの好きなメンバーの趣味からゲーム化するような。 | |||
'''中村''': そうですそうです(笑)。 | |||
'''――''': それにしても、新しいものを多く手掛けていらっしゃる印象があるのですが、つねにイノベーションを起こそうという意識はあったのでしょうか? | |||
'''中村''': そうですね。対外的に発表していたわけではありませんが、意識はありました。新しい物を作るのってワクワクするじゃないですか。どうかな、受けるかな、売れるかな、みたいな(笑)。そういう楽しみを感じられるのが、何より楽しい。 | |||
'''――''': それは開発者としての意識のように感じますが、経営者としても、保守的なものよりも斬新な企画のほうがいいと思われますか? | |||
'''中村''': 難しいところなんですが、僕は新しいほうがいいです。というのも、現場のスタッフは1作ずつアイデアも知恵も振り絞って作っていくので、それに対するアイデアが残っていないんです。もちろん、作ろうとすればいろいろアイデアは浮かぶんですけどね。我孫子さんも『かまいたちの夜』の1作目に、「自分のやりたいことは全部入れた」と話されていましたから。それもあって、2作目を作るときは、牧野さん(牧野修氏。小説家)や田中さん(田中啓文氏。小説家)に手伝ってもらったんです。 | |||
'''――''': ちょうどお話が出ましたので、『かまいたちの夜2 監獄島のわらべ唄』のお話をお聞きしますが、和風の要素が強くなったりと、いろいろ変わりましたよね。PS2で豪華になったと言いますか、シルエットもキレイになりましたし。 | |||
'''中村''': その前から『2』を作りたいと言っていたんですが、なかなかアイデアがまとまらなくて。そこに、先ほどお話をした通り、田中さんや牧野さんを始め皆さんの力をお借りして、みんなで集まってブレストをしながら固めていきました。結果、「以前が冬の山だったから、今度は海か」みたいに、ものすごく安易な発想もありましたが(苦笑)。 | |||
'''――''': とにかくすごいゲームで、ユーザーの反応としては賛否両論があった気がします。 | |||
'''中村''': いい反応も悪い反応もいろいろいただきました。怖さもあったと思うんですが、気持ち悪さもあって、"やりすぎだろ"という意味で、反省するところもありましたね。 | |||
'''――''': そして、『ドラゴンクエストキャラクターズ トルネコの大冒険3 不思議のダンジョン』などを出しつつ、チュンソフト20周年記念に合わせて、『シレン・モンスターズ ネットサル』、『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』、『ホームランド』の3作を発表されましたね。これは、20周年を記念して、まったく新しいものを作ろうとされたのでしょうか。 | |||
'''中村''': そうですね。社内みんなで企画を出し合って、それぞれの発表会をしながら、"これはいけそうだね"というものを選びました。 | |||
'''――''': どれもジャンルが違うというか、チュンソフトにとって新しい作品が多かったですね。とくに『ネットサル』は、自分が操作せずに、監督になるサッカーゲームですし。 | |||
'''中村''': これは、開発にサッカー好きのメンバーがいたんですよ。『シレン』のシナリオを担当している冨江(冨江慎一郎氏)がサッカー大好きで、以前テクモ(現コーエーテクモゲームス)に務めていたのですが、そのころに『キャプテン翼』を作っていた人物なんですね。サッカーを語らせると、うるさいんです(笑)。 | |||
'''――''': (笑)。20周年記念ソフトの2本目は、『3年B組金八先生』ですが、「なぜチュンソフトが『金八』!?」と、非常に驚きました(笑)。 | |||
'''中村''': よく言われました(笑)。これは、もともと学校の先生を題材にしたゲームを作ろうとしていて、学校モノと言えば、『金八先生』という流れで調べてみたら、ライセンスを獲得できたんです。 | |||
'''――''': 先生を題材にしたコンセプトから生まれたタイトルだったんですね。20周年記念3作目の『ホームランド』は、発売までかなり難航されていたように思います。 | |||
'''中村''': ちょっと変わったオンラインRPGだったのですが、これがチュンソフトにとって初めての試みだったので、軌道に乗るまでなかなか時間がかかってしまいましたね。これも、『ローグ』のおもしろさを家庭用ゲーム機に持ち込んだように、プレイヤーがゲームマスターになる楽しみをネットワークゲームで再現しようとしたものでした。 | |||
'''――''': ユーザーのゲームキューブがホストとなって、ほかのユーザーがつなぐという"かみさまプレイ"ですね。敵を配置したり、難度を変えたりと、非常に意欲的でしたが、とてもコアな楽しさでした。 | |||
'''中村''': 自分たちで言うのも何ですが、ちょっと早すぎた仕組みでしたね(苦笑)。 | |||
'''――''': お話をうかがっていると、本当にどれもこれも新しいというか、早すぎる先取りですね……。 | |||
'''中村''': もともと新しいゲームが好きで、誰も触れたことのない技術や魅力に惹かれるスタッフが多いので、そういったものに触れて、いい点、悪い点を洗い出して、チュンソフトらしくゲーム化するんですが、それでもまだ時代を先取りしすぎていたんでしょうね。 | |||
===セガ×チュンプロジェクト始動=== | |||
'''――''': 2005年にセガ×チュンプロジェクトが立ち上がりますが、これはどういった経緯だったのでしょうか? | |||
'''中村''': セガさんからお話をいただいたのがきっかけです。いくつか過去タイトルのリメイクも含めていたんですが、「『街』や『弟切草』のようなサウンドノベルシリーズを作りましょう」と言っていただけて。 | |||
'''――''': なるほど。それが『忌火起草』になったり、『428』になったと。 | |||
'''中村''': はい。先ほどもお話しましたが、『街』のときにセガさんにご協力いただいていっしょに作っていましたので、それの第2弾というイメージでしたね。 | |||
'''――''': それまでパブリッシャーだったのが、デベロッパーになるということは、ここでも大きな変化だと思いますが? | |||
'''中村''': いえ、これはもうセガさんから「そういう形でやりませんか?」とお話をいただいたので、すんなりと。 | |||
'''――''': そのころに、スパイク(当時)といっしょに、親会社となるゲームズアリーナを設立されていますよね。ドワンゴが親会社になって、スパイクとグループ企業になって、最終的にいっしょの会社に……。 | |||
'''中村''': 当時、そこまでは予想していませんでしたね(笑)。 | |||
'''――''': (笑)。セガ×チュンの第1作が、『かまいたちの夜×3(トリプル) 三日月島事件の真相』ですね。透と真理のシリーズとしては完結編になります。 | |||
'''中村''': これは、本当はもっと早くに出す予定で作っていたんです。『かまいたちの夜2』でどうしても不幸になる人物が現れてしまったので、その後の話だけを入れたファンディスクのようなものを作ろうと。ただ、やっていくうちにどんどん入れたいものが増えてきて、ザッピングも入ってすごいボリュームになりました(苦笑)。 | |||
'''――''': 透と真理、そして俊夫さんたちの話としては、まさに大団円で、シリーズを遊んできた身としては、エンディングが非常に感動的でした。続いて、ニンテンドーDSの『シレン』シリーズのリメイク作を経て、新作サウンドノベルとして『忌火起草』が発売になります。サウンドノベルで、まさかのセリフをしゃべるという。もともとは『弟切草』をイメージされていたというお話でしたが……。 | |||
'''中村''': PS3になったことで、画像がHD画質になってかなりキレイになったんですが、それが予想以上だったんですね。途中段階でできあがったものを見たんですが、これは"声が聞こえてきてほしい"と思うほどのもので、それで急遽声を入れようということになったんです。 | |||
'''――''': 最初から音声ありきで考えていたものではなかったんですね! 続いて、『不思議のダンジョン 風来のシレン3 からくり屋敷の眠り姫』が発売され、『428~封鎖された渋谷で~』が生まれます。『428』などは『忌火起草』の時点で平行して作っていたのでしょうか? | |||
'''中村''': そのころの『428』は、脚本を準備しているころかな。『428』と言えば、セガさんがてんやわんやだったらしいですね。ファミ通さんのクロスレビューで40点満点をいただいたので(笑)。 | |||
'''――''': そうでしたか! それは、ありがとうございます(笑)。『街』の評判が非常によかっただけに、同じ渋谷を舞台としたサウンドノベルを作るというのは、かなりのハードルだったと思うのですが、社内ではいかがでしたか? | |||
'''中村''': そこまでプレッシャーを感じてはいなかったと思います。もともと目指していたものは『街』の続編ではなくて、同じザッピングを使って、マルチシナリオを楽しむというタイプのものでしたから。『街』のときは、あくまでも10人が平行に進んでいくお話でしたが、『428』はバラバラなお話かと思いきや、だんだんひとつの話になっていくというスタイルで、当時は『24-twenty four-』のブームで僕もハマっていたので、ああいう感じにしようとなったんです。 | |||
'''――''': 『428』も最初は売上で苦戦していましたよね。いろいろなハードで発売されるにつれて、どんどん売上が広がっていった印象ですが、『街』といい『428』といい、スロースターターで……。 | |||
'''中村''': なんなんでしょうね(苦笑)。クロスレビューの歴代満点作品を見ると、ほとんどがミリオンセラーというすごいタイトルばっかりで、『428』は評価と売上がいちばん乖離しているんじゃないかとハラハラしていました(苦笑)。でも、おかげさまでPS3やPSP、iOSといったほかの機種への移植で、販売本数はかなり伸びました。 | |||
'''――''': 『428』の1年後に、『極限脱出 9時間9人9の扉』が出ますが、これは打越さん(打越鋼太郎氏。フリーランスで『Ever17』などの作品を手掛けたのち、チュンソフトに入社。現在は、スパイク・チュンソフトに所属しながら、MAGES.とのコラボレーションで新作を制作している)の入社でできた作品ですよね。 | |||
'''中村''': そうですね。サウンドノベルとも違う、新しいタイプのアドベンチャーゲームで、僕もテストプレイをしたときに、なかなか正解ルートに進めず、「これ、バグってるんじゃないの?」って聞いたりしました(笑)。 | |||
'''――''': (笑)。さらに平行して『不思議のダンジョン 風来のシレン4 神の眼と悪魔のヘソ』を発売されますが、このあたりでは、中村さんはプロデュースというよりも、監修のようなイメージでしょうか。 | |||
'''中村''': はい。ただ、自社の作品をこう言うのもおかしいんですが、『シレン4』はすごくよくできているというか、自分自身も相当やりこみました。 | |||
'''――''': 舞台が、南の島になっていて驚きました。「シレンが、バナナ食べるのか!」と(笑)。 | |||
'''中村''': これは、なんとかして『シレン』を海外進出できないかという考えがありまして……(笑)。それで、「日本にいちゃダメでしょ」という発想で、シレンも海の外に出そうと、雰囲気を変えて南の島にしたんですね。 | |||
'''――''': そんな裏話が(笑)。セガ×チュンプロジェクトのさなか、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)さんの発売で、『TRICK×LOGIC』を開発されています。早解きキャンペーンがおもしろかったですね。 | |||
'''中村''': これも早かったゲームですね。いまなら、もっと別のシステムを使えそうですし、何よりスマートフォンなどのほうが向いている気もします。このときは、SCEさんから「ノベルゲームという題材でいいアイデアはないですか?」とお話をいただいて、社内で温めていた3つの企画を見せたところ、この『TRICK×LOGIC』が選ばれたんです。 | |||
'''――''': 『TRICK×LOGIC』は歯応えがありましたが、すごく楽しかったです。このシステムで新作が遊びたくなります。 | |||
'''中村''': ありがとうございます(笑)。もともと社内でも簡単に解ける人と、ずっと解けない人の2極化になっていて、そこの調整が難しかったです。カンタンに解けちゃう人には味気ないし、わからない人は難しくて投げ出してしまうと。 | |||
'''――''': 中村さんご自身は解けましたか? | |||
'''中村''': 僕はどっちかというと、犯人やトリックはわかっているけど、どこの文章を抜き出せばいいのかがわからないというほうに陥りましたね(苦笑)。 | |||
===パブリッシャーへの復帰。そして、合併へ=== | |||
'''――''': 第二次パブリッシャー時代として、『不思議のダンジョン 風来のシレン5 フォーチュンタワーと運命のダイス』で、パブリッシャーに復帰をされますが、これはどういった経緯で復帰されたのでしょう? | |||
'''中村''': セガ×チュンプロジェクトとして約束していた数のタイトルを発売したので、契約が満了したんですね。ですので、それ以前の形であるパブリッシャーに戻ったんです。 | |||
'''――''': 『シレン5』は、『シレン4』と同じ年に出されていますよね。長く遊べる『シレン』が1年に2作出るのは、とても珍しいと思いましたが。 | |||
'''中村''': 確かに1作が長く遊べるのですが、かといってナンバリングを出すのにあいだが空きすぎると、ファンの方が去ってしまうという意見もあって、テンポよく出すことにしたんですね。あと、もともと『4』を作るときにかなりのアイデアが出ていて、『4』だけでは使い切れないから『5』に入れようという話もありましたね。 | |||
'''――''': 続いて、また新たなチャレンジとして、『ぞんびだいすき』を発売されます。かわいらしい見た目ですが、歯応えのあるリアルタイムストラテジーで、しかも題材がゾンビ。いろいろ突っ込みどころが(笑)。 | |||
'''中村''': 大勢のキャラクターをタッチペンで動かすというのが、大元のコンセプトで、団体をぐるっと囲って、「お前らはこっち!」といったことをやりたかったんですね。そんな中で、ぐるっと囲んだのに、ひとりだけウロウロと違う方向に動いているキャラクターがいて、そいつのことを「ゾンビみたいだな」とか言っているうちに決まったんだと思います。 | |||
'''――''': そして、『真かまいたちの夜 11人目の訪問者(サスペクト)』を発表し、発売するあいだに、スパイクとの合併を発表されます。改めて、この合併の経緯をお聞かせください。 | |||
'''中村''': いきなり合併したわけではなく、ゲームズアリーナというグループがあって、その傘下でチュンソフトとスパイクが出会って、それぞれ別会社としてやりつつ、くっつけられるところはくっつけてと、試行錯誤をしていたんです。 | |||
'''――''': その延長線上で合併だったと。でも、初めて聞いたときは驚きました。 | |||
'''中村''': やっぱり、ビックリされました? | |||
'''――''': それはそうですよ!(笑)。 | |||
'''中村''': (笑)。僕らも、自分たちの会社を冷静に見たときに、同じ業界にいるんですが、それぞれの持っている強みがうまい具合に重なっていなかったんですね。それなら、いっそいっしょになれば全方位でできるとなって、櫻井(櫻井光俊氏。スパイク・チュンソフト 代表取締役社長)と話をしたんです。 | |||
'''――''': なるほど。そして、合併前に『真かまいたちの夜』と『極限脱出ADV 善人シボウデス』が発売されます。『真かまいたちの夜』は、これまでの『かまいたちの夜』シリーズとはまったく異なる、新章としてのお話ですね。 | |||
'''中村''': はい。ミステリーは登場人物を踏襲すると、前作を知っている人と知らない人で見えかたも違うし、いろいろとやりづらい部分があったのと、『×3(トリプル)』で前シリーズが完結していたので、一新しました。 | |||
'''――''': マルチプレイの"みんなでかまいたち"が大好きでした。いわゆる"人狼"ゲームのようなゲームで、ただ、これも時代の先取りですね。 | |||
'''中村''': 参加者全員で、ある程度時間を揃えなくてはいけなかったりと、時間的な制約が難しかったですね。 | |||
'''――''': スマートフォンで出していただきたいです! そして、チュンソフトとして最後の作品になるのが、『極限脱出ADV 善人シボウデス』。これは『999』も含めて海外の評価が非常に高いですよね。 | |||
'''中村''': そうですね。日本発のアドベンチャーが、海外で受け入れられるというのは、これからの可能性も含めて期待が大きいです。 | |||
===中村光一氏が見る、次世代のゲーム=== | |||
'''――''': というわけで、長い時間をかけてチュンソフトの歴史を振り返っていただきました。ありがとうございました。そして、お疲れ様でした。 | |||
'''中村''': 他人事のようですが、改めて年表にすると、こんなに出来事があったんですねえ。これ以外にも、『ポケモンダンジョン』もありますし。 | |||
'''――''': 時間の都合上省いてしまったものもありますが、リメイクなども含めると、もっともっとありますから。振り返って、もっとも濃い時代というのは、やはり会社を立ち上げた当初でしょうか? | |||
'''中村''': それぞれの時代にいろいろな思いはありますね。でも、振り返って、トータルで思うのは、時代時代に振り返って語ってもらえるようなものはしっかり作れて来れたなということ。これはよかったと思います。 | |||
'''――''': ここからは、チュンソフト以降、スパイク・チュンソフトとしてのお話や、中村さんの最近の状況などについておうかがいします。合併してスパイク・チュンソフトになってから約2年が経ちましたが、現時点での感想をおうかがいしたいです。 | |||
'''中村''': 合併前にスパイクとチュンソフトが引っ越して同じオフィスになったこともあって、あまり大きな変化はありません。ただ、チュンソフト時代は、基本的に自社のタイトルをある程度遊んで、だいたいを把握していたのですが、元スパイクチームの扱っているタイトルがとても多く、ボリュームもすごいので、会社が大きくなるにつれて、全部を見ることもできなくなってきました。とくに、海外作品の移植ものは物量もすごいので、かかる時間も多くて……(苦笑)。 | |||
'''――''': 『セインツロウ IV ウルトラ・スーパー・アルティメット・デラックス・エディション』などはすごいですよね……。 | |||
'''中村''': 『セインツロウ』は、やり始めたらものすごく要素が多くて、ユーザー目線で見ればいい反面、把握しようとするにはどこまでやればいいんだろうかと迷います(苦笑)。全貌が見えないというか、実際に遊んで「これってチュートリアルなのか?」と思いながらも、どこからが本番なのかもわからない。自然と本編に入っているとも言えるのですが。そういう意味では、ハードやソフト、タイトルもバラエティーに富んでいて、それらを会社全体として扱うようになったことが大きな変化でした。 | |||
'''――''': 合併して、スパイクチームとチュンソフトチームが融合しているような部分はありますか? | |||
'''中村''': おもに開発関連についてですが、融合された混成チームもあるのですが、基本的には元スパイクの開発部隊、元チュンの開発部隊と分かれていて、完全な統合はしていません。プロジェクトも個別にやっているので、そういう意味での変化というのは、そこまで大きくはないですね。 | |||
'''――''': 部署やチーム的にはあまり変わらないと? | |||
'''中村''': はい。ゲームって、1個のプロジェクトが長いですよね。2年とか、ヘタしたら3年くらいかかるものもあるので、以前のプロジェクトを引き続きやっている状態のところに、プロジェクトをまたいだ大編成をするようなこともなく、櫻井とも「そのあたりの融合は徐々にやっていけばいいんじゃないか」と話しています。おそらく、もっと壮大なプロジェクトが動いたときに、そういう融合が起こるかもしれませんね。 | |||
'''――''': では、中村さんの最近のおもな業務と、ゲームへの関わりかたについてお聞きしたいです。 | |||
'''中村''': 先程も言いましたが、ゲームとしては自社を把握するためのプレイが精一杯です(笑)。 | |||
'''――''': 開発のほうから、中村さんにアドバイスを求めるようなことがあるとおうかがいしましたが? | |||
'''中村''': ある程度できあがったものを確認して、必要なことを言っています。とくにチュートリアルの部分とか……。あとはユーザーインターフェースなどの操作まわりでしょうか。 | |||
'''――''': レスポンスのよさなど、ユーザーインターフェースはチュンソフトのお家芸ですからね。2014年9月に日本でXbox Oneが発売されると、新世代機が出揃いますが、携帯機も含めての最近のハードへの印象と、スパイク・チュンソフ | |||
トとしてどこに注目していくのを、おうかがいできますか? | |||
'''中村''': 月並ですが、どのハードもすごいですね。この30年という時間を考えると、とんでもない進化です。『メタルギア ソリッド V グラウンド・ゼロズ』(以下、『MGSV』)もPS3版とPS4版を両方買って比べたり、『バトルフィールド4』はPC版も買って比較したりもしています。いつも思うのが、こんなにグラフィックがすごくなると、開発費がいくらかかっているのかと……(苦笑)。 | |||
'''――''': 数秒のカットシーンひとつで、どれくらいかかるんだろうとか思いますね。 | |||
'''中村''': そうなんですよ。ただ、映画もそうですけど、ゲームも作った物量=値段ではなく、お客さんとしては遊んだ時間で価格が高いか安いかを判断されることが多いので、『MGSV』も今回は本編の一部ということで、安くなっていますが、かかっている費用としては、かつての6000円や7000円ぐらいの内容は詰まっているのになあ……と思ったりもします。たとえば、うちから出している『ブラザーズ 2人の息子の物語』も、グラフィックが相当作り込まれていて、プレイ体験からしてもかなりの満足度があると思うんですが、プレイ時間で考えるとそこまで長くないので、1500円という値段設定になってしまう。最近のハードの進歩に対する開発費の高騰と、ユーザーの遊んだ時間に対する満足度を考えての値段設定は、とても難しい時代になっているなと感じます。 | |||
'''――''': 昔はROMの容量で値段が変わっていましたが、現在、容量は膨大で、値段に上限がありますね……。先ほど『ブラザーズ』のお話も出ましたが、最近は少人数で制作するインディーゲームが台頭していますが、少人数という点では、中村さんが『ドアドア』などを作っていた時代と通じるものがあると思います。昔のご自身が開発されていたころと、現在の状況を比べると、いかがですか? | |||
'''中村''': いま話したことの裏返しで、現在のゲーム業界は、それだけ開発費を投じてグラフィックを作り込んでも、元が取れるかどうかという状況になっています。そうなると会社としては、前作が売れたもの、もっと言うと、ワールドワイドで数百万本以上売れるものを求めることになる。すると、作るべきゲームのテーマがだいたい限られてきてしまうんですよね。いわばFPS(一人称視点シューティング)か、その要素を入れたものですね。その結果、いままで以上にシリーズ化偏重の流れになってしまうわけです。そういう状況の中で、グラフィックは作り込むほどではなくても、アイデアで勝負ができるのがインディーゲームのよさで、目新しいおもしろさを追求するという、それこそ僕らがゲームを作っていた時代に重なる部分が出てきていると思います。この流れで、ぜひもっと新しいものが出てきてほしいですね。 | |||
'''――''': インディーゲームがもっともっと増えていくと、"第二の中村光一"と呼べるようなクリエイターも出てくると思います。そういった、少人数やひとりで制作している方たちにアドバイスはありますか? | |||
'''中村''': 少人数だと、思う存分やりたいこともできると思うので、その少人数ならではのセンスを活かした、尖ったものを作ってほしいですね。 | |||
'''――''': たとえば、iPhoneだったり、PS4を見て、中村さんの中で、「いまだったらこういうことができそう」というようなアイデアはありますか? | |||
'''中村''': アイデアだけで勝負ができるタイミングというのは、ハードの大きな変わり目と言いますか、グラフィックの進化ではなく、本当に新しいハードが出たときなんですね。そのタイミングこそ、アイデア勝負で新しい体験ができるものを作れば、爆発的なヒットの可能性があると思います。そういう意味で、この2、3年のあいだにスマートフォンが台頭して、『パズル&ドラゴンズ』のようなヒット作が生まれたわけですが、つぎのタイミングは、しきりに言われているGoogle Glass(Googleが開発しているメガネ型のコンピュータ)などのウェアラブルコンピュータだと思います。メガネにつけるのか、腕につけるのか、それともまったく別の場所なのか、ウェアラブルコンピュータが広まり始めたタイミングにこそ、おもしろいアイデアと新しい遊びかたが出てくるんじゃないかと考えています。 | |||
'''――''': 単純に映像の進化だけでなく、新しいインターフェースが入ったデバイスが出る瞬間ですね。 | |||
'''中村''': コンピュータからのアウトプットを活かした出力系のおもしろさもありますが、グラフィックなどの出力系には最初の驚きや衝撃はあるものの、人を長く楽しませるという点では、圧倒的にインターフェースなどの入力系のおもしろさのほうが重要だと思っています。たとえばですが、コントローラーでも、アナログスティックがついたことでおもしろくなったものも多いですし、少し前だとニンテンドーDSのタッチペンで、これまでは方向やボタンでしか示せなかった入力に、文字などが伝えられるようになり、『脳トレ』(『東北大学未来科学技術共同研究センター川島隆太教授監修 脳を鍛える大人のDSトレーニング』)のようなヒット作が生まれました。ですので、入力系という意味でも、ウェアラブルコンピュータには可能性があると思っています。 | |||
'''――''': なるほど。社内で、そういったデバイス向けの研究をしようといった提言をされるのでしょうか? | |||
'''中村''': そうですね。そういうものが好きなスタッフが情報を集めたりはしています。 | |||
'''――''': そういった発想を含め、中村さんの中で経営者とクリエイターの両方の視点から、ゲーム制作で心掛けていることはありますか? | |||
'''中村''': 難しいのですが、視点を切り換えて見るようにはしています。自社のゲームを見るときは、クリエイターとして、そしてユーザー目線で、おもしろいかどうかを見ます。最近とくに、大事だと思っているのは、ゲームの入り口だ | |||
と思っています。とくにパッケージからフリーミアム(フリー・トゥ・プレイなどの、基本無料で遊べる、アイテム課金制などのゲーム)が増えていくと、ユーザーはタダだから気軽に遊んでみるものの、やりづらかったり、ルールがわからなかったり、冒頭がつまらなかったりしたら、すぐにやめて、二度と起動しなくなってしまう。パッケージは、ある程度の金額を支払っているので、もう少し辛抱強いというか、おもしろみが味わえる部分まで遊んでくれる確率が高いと思いますが……。 | |||
===40周年、50周年を目指して=== | |||
'''――''': 今回、チュンソフト30周年としてお話をうかがいましたが、今後の展開について30周年に絡んだ発表などの予定はあるのでしょうか? | |||
'''中村''': 近いタイミングで、発表できればと考えています。 | |||
'''――''': ファンとしては、『不思議のダンジョン』シリーズやサウンドノベルの今後が気になると思うのですが……。 | |||
'''中村''': 『不思議のダンジョン』シリーズは、最近でもポケモンさんとやっていたり、ほかにもやっているものがあったりするんですが、ご期待に沿えるようがんばります。 | |||
'''――''': なるほど。『シレン』シリーズにも期待しています! では、最後の質問に行く前に、中村さんの今後の目標をお聞かせください。 | |||
'''中村''': つぎは40周年ですね。そして、さらに50周年と続けていくのが目標です。先ほどの話に続きますが、この会社からワールドワイドに展開できるタイトルが生まれていけばいいなと思います。 | |||
'''――''': 40周年、50周年と来たら、そのころのゲームはどうなっていると思いますか? | |||
'''中村''': この先の技術革新は、なかなか想像が難しいですよね(苦笑)。ネットが始まったころは、もっと無線化が進むといったことは想像できましたし、ワイヤレス化は今後も進んでいくと思いますが……。ゲームは、10年後にはパッケージがなくなっているかもしれませんし、そもそもすべてがクラウド化して、ストリーミングで遊ぶのが標準になっている気もします。 | |||
'''――''': その最新のデバイスでも、アーカイブで『ドアドア』を遊んでいるかもしれませんよね。 | |||
'''中村''': そうなっているとうれしいですね。 | |||
''' | '''――''': では最後に、チュンソフトファンの方にメッセージをお願いします。 | ||
''' | '''中村''': これまでいっぱい遊んでいただいて、本当にありがとうございます。おかげさまで30周年を迎えました。まずはお礼を伝えさせてください。そして、これからも皆さんの期待に応えられるようなゲームを発表していきたいと思っておりますので、チュンソフト、そしてスパイク・チュンソフトを、今後とも応援のほど、よろしくお願いいたします。 | ||
''' | '''――''': ありがとうございました。いちファンとして、新作をお待ちしております! | ||
==See Also== | |||
{{Interviews Navbox}} | |||
==References== | ==References== |
Latest revision as of 01:15, 6 December 2024
This Q&A was posted to the website famitsu.com by 世界三大三代川 on June 8, 2014[1] and June 9, 2014.[2]
チュンソフト30周年のすべてを、創業者・中村光一氏とひとつずつ振り返る
『ドアドア』に始まり、『ドラゴンクエスト』シリーズ、サウンドノベルシリーズ、そして不思議のダンジョンシリーズと、数々の名作を手掛けてきたチュンソフト。2012年4月1日にスパイクと合併し、現在ではスパイク・チュンソフトの名前でおなじみのメーカーだ。ファミコン時代からの往年のゲームユーザーには、良作を作り続ける老舗メーカーとして、チュンソフトファンが多くいるだろう。かくいう筆者もそのひとりだ。そんなチュンソフトが、2014年4月9日に設立30周年を迎えた。今回、30周年という節目を迎え、これまでのチュンソフト、そしてこれからのスパイク・チュンソフトについて、お話をうかがう機会をいただいた。お相手は、チュンソフトの創業者であり、現スパイク・チュンソフト代表取締役会長の中村光一氏。せっかく中村光一氏にご登場いただき、チュンソフトの30年を振り返るならば……と、チュンソフト30年の簡易年表を作り、ひとつずつお話をうかがわせていただいたところ、チュンソフト設立前から、現在のゲーム業界までを語っていただく、非常に貴重なインタビューとなった。30000字近いロングインタビューの中から、今回は前編としてチュンソフト設立以前から、スーパーファミコンの時代までをお届けする。チュンソフトファンならずとも、ぜひ最後までお読みいただきたい。
スパイク・チュンソフト代表取締役会長。高校生時代に、雑誌へのプログラム投稿者として名を馳せる。1982年にエニックス主催のプログラムコンテストで『ドアドア』を投稿し、準優勝にあたる優秀プログラム賞を獲得。その後、大学在学中の1984年4月9日に株式会社チュンソフトを設立した。『ドラゴンクエスト』シリーズ、『風来のシレン』を始めとする不思議のダンジョンシリーズ、『かまいたちの夜』といったサウンドノベルシリーズなど、代表作多数。
・チュンソフトのおもな出来事(前編)
1984年4月ゲームソフトの開発事業を目的に株式会社チュンソフトを設立 1985年7月『ドアドア』(FC)発売(発売元:エニックス) 1985年11月『ポートピア連続殺人事件』(FC)発売(発売元:エニックス) 1986年5月『ドラゴンクエスト』(FC)発売(発売元:エニックス) 1987年1月『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』(FC)発売(発売元:エニックス) 1988年2月『ドラゴンクエストIII そして伝説へ・・・』(FC)発売(発売元:エニックス) 1990年2月『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』(FC)発売(発売元:エニックス) 1991年4月メーカー参入と『弟切草』(SFC)の開発を発表 1991年12月『ファミコンジャンプII 最強の7人』(FC)発売(発売元:バンダイ) 1991年12月『テトリス2+ボンブリス』(FC)発売(発売元:BPS) 1992年3月メーカー参入第1弾『弟切草』(SFC)発売 1992年9月『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』(SFC)発売(発売元:エニックス) 1993年9月『トルネコの大冒険 不思議のダンジョン』(SFC)発売 1994年11月『かまいたちの夜』(SFC)発売 1995年12月『不思議のダンジョン2 風来のシレン』(SFC)発売 1996年11月『不思議のダンジョン 風来のシレンGB ~月影村の怪物~』(GB) ※ ハード名は略称。FC……ファミコン、SFC……スーパーファミコン、GB……ゲームボーイ
・チュンソフトのおもな出来事(後編)
1998年1月 『街』(SS)発売 1998年12月 サウンドノベル・エボリューション2『かまいたちの夜 特別篇』発売 1999年1月 サウンドノベル・エボリューション3『街~運命の交差点~』発売 1999年3月 サウンドノベル・エボリューション1『弟切草 蘇生篇』発売 1999年9月 『ドラゴンクエストキャラクターズ トルネコの大冒険2 不思議のダンジョン』(PS)発売(発売元:エニックス) 2000年9月 『不思議のダンジョン 風来のシレン2 鬼襲来!シレン城!』(N64)発売 2001年7月 『不思議のダンジョン 風来のシレンGB2 砂漠の魔城』(GBC)発売 2002年2月 『不思議のダンジョン 風来のシレン外伝 女剣士アスカ見参!』(DC)発売 2002年4月 携帯電話でのコンテンツ制作、運営のためにモバイル事業開始 2002年7月 『かまいたちの夜2 監獄島のわらべ唄』(PS2)発売 2002年10月 『ドラゴンクエストキャラクターズ トルネコの大冒険3 不思議のダンジョン』(PS2)発売(発売元:エニックス) 2002年12月 『不思議のダンジョン 風来のシレン外伝 女剣士アスカ見参! for Windows』(Win)発売 2004年3月 チュンソフト創立20周年記念発表会開催 2004年4月 『シレン・モンスターズ ネットサル』(GBA)発売 2004年6月 『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』(PS2)発売 2005年4月 株式会社ドワンゴグループ企業となる 2005年4月 『ホームランド』(GC)発売 2005年9月 セガ コンシューマ戦略発表会開催、セガ×チュンプロジェクト始動 2005年12月 株式移転により、株式会社スパイクと共同で完全親会社である株式会社ゲームズアリーナを設立 2006年7月 『かまいたちの夜×3 三日月島事件の真相』(PS2)発売 2007年4月 モバイル事業をゲームズアリーナに業務移管 2007年10月 『忌火起草』(PS3)発売 2008年6月 『不思議のダンジョン 風来のシレン3 からくり屋敷の眠り姫』(Wii)発売 2008年12月 『428~封鎖された渋谷で~』(Wii)発売 2009年12月 『極限脱出 9時間9人9の扉』(DS)発売 2010年2月 『不思議のダンジョン 風来のシレン4 神の眼と悪魔のヘソ』(DS)発売 2010年7月 『TRICK×LOGIC』(PSP)発売(発売元:ソニー・コンピュータエンタテインメント) 2010年8月 愛知県名古屋市に名古屋オフィスを開設 2010年12月 パブリッシャーに復帰。『不思議のダンジョン 風来のシレン5 フォーチュンタワーと運命のダイス』(DS)発売 2011年1月 『ぞんびだいすき』(DS)発売 2011年11月 スパイクとの合併を発表。 2011年12月 『真かまいたちの夜 11人目の訪問者(サスペクト)』(PS3、PS Vita)発売 2012年2月 『極限脱出ADV 善人シボウデス』(3DS、PS Vita)発売 2012年4月 株式会社スパイクと株式会社チュンソフトが合併し株式会社スパイク・チュンソフトとなる 2013年4月 『かまいたちの夜 Smart Sound Novel』(iOS)配信 2013年5月 『9時間9人9の扉 Smart Sound Novel』(iOS)配信
Questions and Answers (Part 1 - Japanese)
チュンソフト設立、そしてファミコンとの出会い
'――': : まずは30周年、おめでとうございます。今回、チュンソフト30周年ということで、チュンソフト絡みのソフトをいっぱい持ってきまして……。
中村光一氏(以下、中村) うわっ、すごいですね! 『テトリス2+ボンブリス』(1991年に発売されたファミコン用ソフト。発売元はBPS)まであるとは(笑)。これを抑えていただいているのが、うれしいですね。多くの方は、これがチュンソフト開発だというのは知りませんよ(笑)。
''''――: : : 伝説のソフトですよね(笑)。
中村: いま考えると、ある意味そうかもしれませんね。ポケモンの石原さん(石原恒和氏。ポケモン代表取締役社長)とか、関わっている人たちもすごいですから。
'――': : この流れのまま、『テトリス2+ボンブリス』が作られた経緯をおうかがいできますか? いきなり話が脱線しますが……(笑)。
中村: (笑)。最初に、石原さんがパソコンか何かで『テトリス』を遊んで、「これは、おもしろい!」と感じて、いろいろ調べたんですね。それで、どうやらソ連(当時)の人が作ったらしい、と。そこで、石原さんが権利を取るためにソ連に向かわれたんですが、タッチの差でBPSのヘンクさん(ヘンク・ブラウアー・ロジャース氏。『ザ・ブラックオニキス』などの生みの親)に権利を取られてしまったという話をうかがいました。当時、パジトノフさん(アレクセイ・パジトノフ氏。『テトリス』の生みの親)が日本に来たときに、石原さんたちといっしょにお会いして、お話させていただいたこともありましたね。ロシア語の挨拶を覚えたりして(笑)。
'――': : いちファンのようですね(笑)。それにしても、出てくるメンバーの名前がすごい。
中村: それで、BPSからファミコンで『テトリス』が発売されたんですが、ファミコンの1作目はテトリミノを着地回転させながら落とすといったことができなかったんです。それで、僕らもファミコン版を遊んでいたんですが、だんだんと『テトリス』プレイヤーとして、自分たちの望むものを作りたいという想いが高まってきて……。とくに石原さんは、テトリスの著書(『テトリス10万点への解法』)があるほどのファンですから、僕やゲームスタジオの遠藤さん(遠藤雅伸氏。『ゼビウス』や『ドルアーガの塔』の生みの親)たちが集まって、「じゃあ作るか!」となったのが始まりでした。
'――': : ファミコン黎明期に、エースが揃うという稀有なソフトですね……。
中村: 部活動のようなノリで集まりましたね(笑)。『テトリス』を作るうちにいろいろあって、オリジナルルールのものも作ろうということになって、それで『ボンブリス』も入れることになったんです。懐かしい話ですね。
'――': : 貴重なお話を、ありがとうございます。改めて、チュンソフトが30周年を迎えたということで、感想をいただけますか?
中村: この年表を見ながら振り返ってみると、30年は長いけど、けっこう短かったなあと……。でも年表になるほど、こんなにいっぱい出来事があったんだなあとも思いますね。
'――': : 密度の濃い30年ですね。
中村: PC-8001などの家庭用ゲーム黎明期というか、創成期のころから携わってきましたからね。
'――': : 趣味でプログラミングをされている中で、ゲームを作っていくという流れですよね。
中村: それこそ、"I/O"(当時のマイコン雑誌)などの雑誌に作品を投稿するところから始めていますから、チュンソフトとしては30年かもしれませんが、会社を設立する前の高校生のころも含めると、34、5年はゲーム作りに関わっていますね。
'――': : ゲームに対して、ここまで続けられるほど夢中になれるものだという確信は、当時はありましたか?
中村: 当時は、長く続くといったことは考えていませんでしたね。ゲームセンターで遊んで、パソコンで似たようなものを再現しようと試行錯誤するというレベルの時代でした。その後にファミコンなどの家庭用ゲーム機が出てきた段階で、ふつうの家でもゲームセンター並のゲームが遊べるようになるだろうとは思いましたが、正直、現代のゲーム機もそうですが、スマートフォンなどのゲームを見ると、こんな小型で高性能なものが、こんなに早い時代に実現するというのは、パソコンの時代を知っていることもあって、本当に驚きますね。
'――': : ゲームクリエイターとして稼いでいこうと決意したのはいつごろでしたか?
中村: 高校生のときからそう思っていましたね。
'――': : それ一本でいこうと。
中村: ええ。高校生のころから「ゲームの会社に入ろう」とか、「ナムコ(当時。現バンダイナムコゲームス)のような会社を作るぞ!」といったことを考えていました。
'――': : やはり、目指すはナムコでしたか。
中村: 当時のゲームセンターで、ナムコのゲームは本当に光っていましたから(笑)。
'――': : 会社を作ろうと決意するのは、非常に勇気のあることだと思いますが、経営者とクリエイター、どちらの側面でやっていきたいという思いが強かったのでしょうか?
中村: 経営のことを考えなかったわけではありませんが、あまり意識はしていなくて。もともとゲームが好きで始めているので、ついつい作るほうに夢中になっていましたね。
'――': : プログラミングも、当時はベーシックやCOBOLなどから始まって、現代ではかなり進化したと思いますが。
中村: 僕はもう、最近のプログラムはよくわかりません(笑)。ファミコンの時点で、ほぼ現役から退いていますので。
'――': : その後の、スーパーファミコンやプレイステーション、ニンテンドウ 64あたりからは経営者として関わっていらっしゃると。
中村: そうですね。『弟切草』までは、僕のプログラムが入っているかな。でも、その後はプロデュースやディレクションなどの方面でやってきました。
'――': : そういった歴史の部分を、年表に沿ってお話をお聞きしたいと思います。年表の中でもいくつか、ターニングポイントになる部分があると思いますが、まず最初に会社を設立するというのもターニングポイントですよね。これは、大学生のときですか?
中村: そうですね。
'――': : 当時、会社を作ろうと思った経緯はなんだったのでしょうか?
中村: 高校生のころから、"東京に行ってゲームの会社を作るぞ"と思っていたんです。実際に上京して大学に進学してからも、まわりの友だちにそんな話をしていました。それで、自分のアパートに仲間が4、5人集まって、みんなで『ドアドアmkII』や『ニュートロン』を作ったりしていたころに、「どうせだったら、ちゃんと法人登記して、ワンルームでもいいから、事務所を借りて作ろうよ」という話になって、ちょうど大学2年生に上がる前の春休みに、不動産屋さんをまわって物件を探して、4月に設立したんです。
'――': : 設立メンバーで、いまもいらっしゃるのは?
中村: いま残っているメンバーは、僕と中西(中西一彦氏。チュンソフトの名物広報)のふたりですね。
'――': : いまの世代で知らない人も多いと思いますので、改めて社名の由来を教えていただけますか?
中村: そうですね(笑)。もともと僕は高校時代に麻雀が好きで、よく遊んでいたんですね。それで友だちから、中村の"中"を麻雀牌の中にかけて、"チュン"というニックネームで呼ばれていたんです。そして、その名前を『ドアドア』のメインキャラクターの名前につけて(『ドアドア』の主人公の名前は"チュンくん")、『ドアドア』がヒットしたので、縁起がいいというのも含めて、チュンソフトという社名にしました。
'――': : チュンソフトというと、キャッチフレーズの"百発百チュン"が思い浮かびます。
中村: ああ。あれは、プレイステーションの時代に入ってからですね。そのタイミングでチュンソフトのロゴの書体を変えたんですが、そのときにキャッチフレーズを考えようとなって、使い始めました。
'――': : 昔から使っているイメージでしたが、意外と最近なんですね! ……最近と言っても、20年くらい前ですが(笑)。会社設立後にファミコンが登場しますが、初めてファミコンを見たときの印象はいかがでしたか?
中村: 「これはすごい!」と思いましたね。確か、最初のソフトは『ドンキーコング』でしたよね。あれを見たときに、「ゲーセンのゲームがこの値段で動いてる!」と、驚いたのを覚えています。
'――': : ファミコンで作りたいとも思いましたか?
中村: そうですね。いろいろなことが実現できるだろうなと思いました。
'――': : ファミコンでは、最初に『ドアドア』、つぎに『ポートピア連続殺人事件』を作っていらっしゃいますが、この2作の発売間隔が4ヵ月しかないんですよね。当時の開発メンバーは、中村さんと数人でしょうか?
中村: プログラマーは、僕以外に3~4人で、グラフィックは基本ひとり。全部で5~6人でやっていましたね。いまでは信じられない時代だと思います(笑)。
エニックスで集結する、運命の『ドラクエ』メンバー
''''――: : : 中村さんご自身、かなりのゲーム好きだと思いますが、中村さんの原点となったゲームは何でしょう?
中村: 当時のゲーセンのゲームで、誰もがやっているものはほとんどやっていますよ。最初は、『スペースインベーダー』かな。
'――': : ゲームの原体験としては、『スペースインベーダー』だと。
中村: でも、『スペースインベーダー』より前に、ゲームセンターというより、デパートの屋上でピンボールを遊んだりしていました。あと、スコープ状の筒を覗いてボタンを押すと、奥の戦車がガタンと傾くようなものとか。ありましたよね。
'――': : あー! ありましたありました。
中村: そういうものだったり、ドライブゲームも、棒の先にクルマがくっついていて、スクロールする紙の道をウネウネ走るといったものがすごい好きで、よく遊んでいましたね。
'――': : アナログのゲームをよく遊ばれていて、そこへデジタルの波がやってきたと。
中村: はい。ですので、『スペースインベーダー』の前の『ブロック崩し』や、ピエロがぴょんぴょん飛んで風船を割る『サーカス』といったアーケードゲームも相当やっていました。やがて、『スペースインベーダー』の時代になって……。『スペースインベーダー』は、ほぼ永久プレイできるようになるくらいまでやり込みましたね。でも、バグがあって、突然死ぬんですよね。
'――': : えっ、そうなんですか!
中村: バグで、なんでもないのに自機が爆発するときがあって。それで、2機やられる以外はまったくやられなかったので、100円で1日中プレイし続けていて。最終的に、店員さんから「店が閉まるからもうやめてくれ」って言われました(笑)。
'――': : (笑)。
中村: ゲーセンにしたらいい迷惑ですよね(笑)。でも、それぐらいやり込みました。
'――': : 一方、ユーザーでありながら、コンピュータを使って、実際にゲームを作り始めることになったきっかけはなんだったのでしょう?
中村: 高校に入るまで、コンピュータに興味はなかったんですが、学校にパソコンを使って、活動している部があって。当時は同好会だったんですが、そこのデモンストレーションで、『平安京エイリアン』のようなものが動いていたんですね。それを見たときに、「これだったら、毎日タダでゲームできる!」と思って(笑)。そんな動機で同好会に入ったのが、パソコンとの出会いでした。同好会に入ってから、先輩にプログラミングを教わるんですが、ゲームだけでなく、プログラムそのものがとてもおもしろくて、ハマったんです。
'――': : BASICの時代ですよね。
中村: そうなんですが、最初はBASICよりも低次元というか、プログラム電卓のようなものを教えてもらいました。256STEP(STEP=行)しかプログラムを入力できないうえに、処理が遅いんですね。その256STEPで、カウンターが回っているのが目で追えるぐらいで。速い速度で処理しようとすると、技術的に問題があるという(笑)。
'――': : プログラムを簡略化して最適化していくといった技が必要な時代でしたね。
中村: はい。そういったテクニックを駆使することで、コンピュータの中身を理解できるというのもあって、同じ同好会のメンバーで、いかに早くするかとか、いかに短くプログラムを作るかといった競争がありましたね。
'――': : それもゲーム感覚ですよね。それからパソコンにハマっていくと。
'中村: そうです。それで、自分がアルバイトをしてお金を貯めて、パソコンを買おうと思ったんですが、当時何を買おうか迷っていたんです。NECのPC-8001か、シャープのMZ80か。そのときの主流はMZで、NECは出たばっかりだったんですが、色も使えるし、当時『I/O』に投稿していた、"芸夢狂人"という'――: : 当時の有名な投稿者だったんですが、その方がNECのパソコン用に投稿していた『インベーダー』のようなゲームがすごい好きで、「これ、やりたい!」と思ってNECにしました。いま思えば、PC-8001を買うかMZを買うかでのちの人生が変わっていたかもしれないですね。
'――': : そこが分岐点だったと。
中村: そうですね。
'――': : 最初は、雑誌に載っている投稿を打ち込むところから?
中村: そこからスタートで、やがて自分で作りたいなと思って、徐々に本格的なプログラムを作っていきました。
'――': : そのまま、パソコンはNECのシリーズを買われたのでしょうか?
中村: PC-8001から8801まで買っていました。当時は、家庭用のブラウン管テレビにつないでいたので、いまのように文字はいっぱい表示されないんです。40文字と20文字かな。それもブラウン管なので見づらいんです(笑)。ですので、白黒反転させてプログラムを作ったり。デバッグも、プリンターなんて高くて個人で買えない時代なので、1行ずつチェックしてバグを見つけていくしかなかった。
'――': : 色も音もない時代も経験されているんですね。
中村: そうですね。当時は、メモリーはせいぜい何キロバイトの時代で、メガはもちろん、いまのギガなんて、「何だそれは」という感じで、自分の感覚からすれば想像できない(笑)。
'――': : メールでやりとりする容量で、当時のゲームが何本も入りますし……。
中村: iPhoneで撮った写真の容量で、『ドラクエ』(『ドラゴンクエスト』)が何本入るんだろうと思いますよね(笑)。
'――': : 『ドラクエ』は1作目が512キロバイトですよね。使う言葉を削ったりしたと聞きました。
中村: 残った文字の中で、カタカナは半分もないと思います。逆に、残ったカタカナで、魔法や街の名前を考え直したりして。そんな涙ぐましい努力をしていた時代は、本当に過去のものになりましたから。
'――': : 当時、いろいろなジャンルを手掛けられていますよね。アクションの『ドアドア』や『ニュートロン』で始まり、『ポートピア連続殺人事件』はアドベンチャーで。
中村: チュンソフトのイメージと言うと、『ドラクエ』のRPGや、サウンドノベルのアドベンチャーなどの印象が強いと思うんですが、もともとはアクションゲームというか、リアルタイムゲームを作っていました。世に出たメジャーじゃないものでも、当時自分でいろいろなジャンルを作って遊んだりしていたものもありましたね。
'――': : やはり、それはご自身が遊びたいから作るというモチベーションなのでしょうか?
中村: それもありますし、当時は目でコピーして、プログラムを作って投稿するといったことをしていました。KONAMIさんの『スクランブル』とか。
'――': : アーケードのゲームをいかにパソコンで再現するかという、投稿者の勝負のような時代でしたね。改めて、『ドアドア』の誕生秘話についておうかがいしたいのですが、エニックス(当時。現スクウェア・エニックス)との出会いも大きなターニングポイントになったのでしょうか?
中村: そうですね。ちょうど、高校3年生のときに、エニックスがパソコンのプログラムコンテストをやっていたんです。近くのNECのパソコンショップに行ったときですが、そのころPC-98シリーズがちょうど出たばっかりで。ただ、値段が30万円くらいするから高校生には高すぎて買えないという話をしていたんですね。そうしたら、そこの店長が「中村君なら、これで受賞して賞金100万円もらえるんじゃない。出てみれば?」と言って、渡してくれたのが、エニックスのコンテストのチラシだったんです。それを見て、やってみようと思って作ったのが、『ドアドア』でした。
'――': : そこで、いきなり『ドアドア』を作ったんですか!
中村: 当時は、いまみたいに著作権が確立されていない時代でしたから、僕はそのころハマっていたナムコの『ディグダグ』をコピーして応募しようと思っていたんです。でも、なんとなく気になって、一応エニックスに問い合わせたら、「オリジナル作品が対象です」と言われて。いま考えると、当然ですけどね(苦笑)。それで、『ディグダグ』のおもしろさを別の形で表現しようと考えて、『ドアドア』を作ったんです。
'――': : ああ、なるほど。『ディグダグ』の岩を落とすのが、『ドアドア』のドアを開けるものにつながっていますね……。
中村: そうですね。追い込んでまとめて倒すという。
'――': : それで、応募されて準優勝を獲得されます。確か、1位が『森田将棋』の森田和郎さんでしたね。
中村: ええ。そのときは将棋じゃなくて、『森田のバトルフィールド』というウォーシミュレーションゲームでしたね。
'――': : それをきっかけにエニックスとつながりができて……。堀井さん(堀井雄二氏。アーマープロジェクト代表。『ドラゴンクエスト』シリーズなどの生みの親)もそのコンテストに参加されていらっしゃったんですよね。
中村: 堀井さんは『ラブマッチテニス』という、テニスゲームを出していて。……我ながら、タイトルまで覚えているのは驚きますね。最近の新しいゲームのタイトルはなかなか覚えられないのに(笑)。
'――': : (笑)。そこで、エニックスの千田さん(千田幸信氏。スクウェア・エニックス・ホールディングス取締役。『ドラゴンクエスト』シリーズで、『VII』までプロデューサーを務める)ともお会いされ、『ドラクエ』メンバーが集まったわけですね。
中村: すぎやま先生(すぎやまこういち氏。『ドラゴンクエスト』シリーズや『風来のシレン』シリーズの作曲家)や鳥山先生(鳥山明氏。『ドラゴンボール』などで知られるマンガ家)は、のちにでしたね。堀井さんは、もともと週刊少年ジャンプの読者投稿コーナーのページを担当されていて、コンテストの投稿もしていたけれど、取材の立場も含めて、授賞式にいらしていたんです。
'――': : そのときから、いっしょにゲームを作ろうといったお話はあったのでしょうか?
中村: いえ、すぐにそうはなりませんでした。その後、『ニュートロン』を作ったころにファミコンが出てきて、ファミコン版の『ドアドア』を作りまして。続いて、2本目のファミコンソフトとして『ニュートロン』を作ろうと、エニックスさんと話をしていたんです。ですが、そこでもう少し大人向けのゲームがいいんじゃないかという話が出て、アドベンチャーを作ることになったんですね。ただ、容量的に絵をたくさん入れるアドベンチャーは難しいと悩んでいたら、千田さんから「『ポートピア連続殺人事件』だったら、絵が20枚もないからいけるかもしれない」と言われて、そこで原作者の堀井さんと話をして……。それが、堀井さんといっしょにゲームを作る初めてのプロジェクトですね。
'――': : 『ポートピア』の移植の話からつながったと。
中村: 『ポートピア』の移植が実際にできるのかどうかわかりませんでしたが、そこでグラフィックを制限したり、使う文字を制限したりといった工夫をして実現したんです。思えば、『ポートピア』もあの容量によく入っているなあと思うくらい、いろいろ駆使しましたね。
'――': : 『ポートピア』は、いまだにインターネットで"犯人はヤス"と言われるくらい有名な作品になっていますね。
中村: 当時は、まだインターネットもなかったので、本当に口コミでじわじわ広がっていったんだと思います。『ポートピア』は、千田さんがプロデューサー的な立ち位置で束ねて、堀井さんがシナリオを作り、現場の開発部分全般をチュンソフトが担当するという役割分担でしたね。
'――': : 中村さんはプログラム全般ですか?
中村: 『ポートピア』のプログラムは全部書きましたね。『ドアドア』もそうですし、『ドラクエ』の1作目も音楽以外はすべて担当しました。
'――': : 全部!
中村: そういう時代だったんですよね(笑)。でも、『ドラクエII』からは、自分の持ち分も少なくなりました。
'――': : ボリュームが一気に増えましたからね。
中村: ……事前にいただいた質問状で、"チュンソフト30周年でもっとも苦しかったことは?"というのがありますが、振り返っていちばん辛かったと感じるのは、『ドラクエII』を作っているときなんです(笑)。
'――': : 30年の歴史の中では、意外と早い! それは、どういった経緯で?
中村: いま話したように、それまでチームで作ってはいたものの、明確に分担ができていたので、それぞれの作業は独立しているようなものだったんです。それが、『ドラクエII』のときに、初めて本体のプログラムを3~4人で分担して作ったんですね。僕にとっては、共同でプログラムを作るということ自体が初めてで、本当は最初に決めなくてはいけないことも決めずに、意思の疎通もしないでスタートしてしまったので、いろいろなトラブルが発生しまして……。途中まで動いているんだけど、突然おかしくなったりして、だけど、誰のプログラムが悪いのかわからない。みんな、完全なプロではなく、半分学生のような人たちだったので、「お前のせいだ!」と言い合って険悪な雰囲気になったりして。当時の僕の仕事は、デバッグよりも仲裁がメインでしたね(苦笑)。それで、当初予定していた発売日より遅れてしまって。できあがったものもバランスがキツくて、こんなに苦労したのに……という思いもあって、会社を辞めようかと思うレベルまで来ていました。
'――': : そこまでですか……。
中村: ええ。ところが、いざ発売したら、これが裏返しの"30周年でもっともよかったこと"になるのかもしれませんが、発売日からすごい行列ができて。
'――': : 大ヒットでしたね。
中村: ニュースになるくらいの騒ぎで、本当にうれしかったですね。
'――': : 『ドラクエ』は『II』から一気に人気が出た印象があります。
中村: 作っていた立場で言うと、『ドラクエ』の1作目ができあがったものを遊んだときに、すごくよくできているし、バランスもいいし、"これは絶対いける!"と確信を持っていたんです。でも、1作目はジワジワ売れたものの、思ったような勢いは出なくてそれが、『II』で爆発したんですが、よく皆さんあんなに難しいゲームを遊んだなあと、いまでも思います(苦笑)。
'――': : ロンダルキアあたりはきびしいですね……。
中村: ザラキとか、鬼ですよね(笑)。
'――': : 中村さんも、そう思っていらっしゃったんですね(笑)。
中村: みんな思っていましたよ(笑)。実際に遊んで、これはキツイと。でも、そういう難しさも含めて、皆さんで話題にしていただいたおかげで、広がったのかなと思いますね。いまのように、ネットに答えが書いてあるということもありませんし。
'――': : 当時の『ドラクエ』は1作目から続編が発売されるまでの期間も短いですよね。発売が延期しても、1年経っていませんし。信じられない早さだと思います。
中村: それでも、かなり「遅い」って言われましたよ(苦笑)。
'――': : 時代の違いですね(笑)。『II』のヒットを受けて、周囲の反響などはいかがでしたか?
中村: ゲーム作りの現場は、最後のマスターアップのときがものすごく大変なんですね。でも、開発が終わって、実際にROMの生産が始まって発売を迎えるまで、当時は2ヵ月以上かかったんですよ。ですので、発売日になるころには、開発メンバーは次回作の話をしているタイミングで。そういうタイムラグもあって、作品が世の中に出て盛り上がっているときと、自分たちの気持ちにズレがあったのを覚えています。
'――': : なるほど。カセットの時期ならではのお話ですね。このまま、『ドラクエ』シリーズのお話もうかがいたいのですが、つぎのターニングポイントへとお話を進ませていただいて……。
中村: このままですと、チュンソフト創世記だけでお話終わっちゃいますからね(笑)。
サウンドノベル、不思議のダンジョンの誕生
''''――: : : つぎの大きなターニングポイントとしては、『弟切草』でパブリッシャーになるところだと思います。発売日としては、『ドラクエV』の後ではありますが、参入を決めたのは、その前ですよね。パブリッシャーになりたいということは、いつごろから考えていたのでしょう?
中村: パブリッシャーになりたいというよりは、ずっとオリジナルタイトルをやりたいと思っていたんです。でも、『ドラクエ』がシリーズを重ねるに連れて、どんどんボリュームが増えて、開発期間もスタッフの規模もふくらんでいくので、オリジナルを手掛ける余裕がなかったんですね。ただ、ちょうどハードがファミコンからスーパーファミコンに移り変わるタイミングだったので、「パブリッシャーになるならここだ」と思って。当時、ゲームスタジオの遠藤さんもご自身の会社を作って間もないくらいだったので、遠藤さんと「スーパーファミコンのライセンスをお願いしに行こう」と話をして、いっしょに任天堂さんに行きました。
'――': : いっしょに行かれたのですね。
中村: よく覚えています。
'――': : そして、パブリッシャーとして最初に出されたのが『弟切草』。
中村: 任天堂さんに気持ちよく許諾をいただきまして、すぐにでもオリジナルタイトルを出したかったのですが、一方で『ドラクエV』の開発も手掛けていたので、なかなか着手できなかったんですね。それで、プログラムやグラフィックがそこまで手がかからないものは作れないかと考えた結果、サウンドノベルができたわけです。
'――': : なるほど。ボリュームはすごかったですが、ゲームの構造的には確かにシンプルでした。
中村: そうですね。でも、もちろん手がかからないという理由だけで、サウンドノベルを作ったわけではなくて。もうひとつ、スーパーファミコンは、ファミコンよりもリアルな音を出せて、声もサンプリングできる機能を持っていたので、その機能を活かしたものとしてサウンドノベルを考えました。
'――': : 当時、ユーザー時代に任天堂スペースワールドで開発中のものを遊ばせていただきましたが、最初は背景のグラフィックがありませんでしたよね。
中村: はい。最初はわら半紙のテクスチャーの上に文字を配置していて、たまに迫ってくるクルマや落雷などのアニメーションが入るようにしたのですが、それで発表をしたところ、流通の方から「コンセプトはわかるけど、これじゃあ売りづらいよ」と言われ、雑誌社の方にも「紹介しづらいです」と言われ……(苦笑)。それもあって、20枚くらいのグラフィックを用意して、場面ごとに背景が変わるようにしました。
'――': : 斬新なジャンルでしたから、周囲も評価しづらかったんだと思います。でも、パブリッシャーとしての初の作品で、新ジャンルというのは意欲的ですよね。
中村: うーん。よくそう言われたんですけど、ゲームの初期の初期から見ているので、僕はジャンルという意識がないんですよ。アクションゲームと言っても、その中にもシューティング的なものがあれば、『パックマン』や『ディグダグ』みたいなものも、パズル要素があるものもあったりと、いろいろなものがありますよね。それと同じで、アドベンチャーにも、アスキーの『表参道アドベンチャー』や『南青山アドベンチャー』といったテキストアドベンチャーがあったり、ちょっと絵がついた『ミステリーハウス』があったり、ウォーシミュレーションゲームで『フリートコマンダー』とか。そういうものを全部遊んできて、ゲームにはいろいろなタイプのものがあるという認識だったので、ジャンルを意識して作ることはしていないんです。
'――': : 懐かしい名前が続々と……(笑)。
中村: (笑)。『弟切草』で挑みたかったポイントがひとつあって。当時『ドラクエ』があれだけヒットしていたにも関わらず、なかなか遊んでくれない友だちや親戚がいて、どうして遊ばないのか話を聞くと、「ひらがなばっかりで読みづらそう」とか「コントローラーで上手に動かせない」と言われたんですね。そういった人たちにとって、ゲームを遊ぶ、コントローラーを握るきっかけになるようなものを作りたいと思ったんです。それで、基本は読むだけ。操作もたまに出てくる選択肢を選ぶだけで、話が変わっていくおもしろさを味わえるものだったら、反射神経もいらないし、さっき言った人たちも遊んでくれるんじゃないかと考えまして。ひらがなだけという問題は、スーパーファミコンの性能で漢字とカナが使えるようになったのも大きかったですね。あと、僕が経験した中で、当時は家庭用ゲーム機でテキストアドベンチャーのおもしろさが表現されていないというのもあったので、そういったもろもろを解決する中で、『弟切草』ができあがったんです。
'――': : 売上的にはいかがでしたか?
中村: 初回出荷で12万本くらいからスタートでした。当時、「もうちょっと売れたらいいなー」と思ったんですが(笑)、本当にロングテイルでジワジワと1万~2万くらいずつ追加出荷をして、最終的には30万本を超えましたね。とくに初期は、本当に品切れを起こしていたので、ユーザーさんのあいだで"聞いたことはあるけど見たことがない"という伝説のゲームとして、いろいろな意味で怖さが広がったみたいです(笑)。
'――': : 都市伝説のような(笑)。そして、『弟切草』の後は、『ドラクエV』を作り、1年半後に『トルネコの大冒険』を発売されます。
中村: 『弟切草』を出した後、『ドラクエV』で『ドラクエ』の制作から外れて、本格的に自社のソフトを作ろうとなりまして。それで、つぎに作ったのが『トルネコの大冒険』でした。
'――': : 『ドラクエ』という大作の開発から外れるというのは、非常に大きな決断だったと思いますが、迷いはなかったのでしょうか。
中村: 自分たちの作りたいものを作っていきたいという気持ちが大きかったですし、それまでにシリーズで5作作ったことで、自分たちの中でやり尽くしたという想いもありましたから、あまり迷いはありませんでした。
'――': : 『ローグ』(PC向けに開発された、ランダムダンジョン探索型RPGの原初となる作品)というベースはありましたが、『不思議のダンジョン』もまた、サウンドノベルに続く新ジャンルで、今日に続く家庭用ゲーム機でのランダムダンジョンの原点になっていますね。
中村: 『不思議のダンジョン』シリーズをずっとプロデュースしている、うちの役員の長畑(長畑成一郎氏)という者がいるんですが、彼が『ローグ』が大好きでずっと遊んでいて。「これ(『ローグ』)おもしろいから、つぎはこれを自分たちで作ろう」という提案をしてきたんです。でも、そのときに初めて『ローグ』に触れたんですが、まったくわけがわからなくて(苦笑)。とくにアイテムがすべて未識別な状態なんです。「これはどうやって進むんだろう」と2~3日悩んでいたんですね。それであるとき、未識別のアイテムを2個持っていて、そのうちのひとつを使ったら、1個が識別状態で残るということに気がついて。「こうやって1個ずつ残していけば、アイテムが使えるんだ!」と、自分で見つけていく楽しさに気づいてからは、すごいハマりましたね。
'――': : 当時の『ローグ』は、すべて記号でしたから、取っつきづらいですよね(笑)。"@"が主人公で。
中村: そうそう(笑)。"!"がポーションとか。
'――': : いまのユーザーが見ると驚くでしょうね(笑)。それを、家庭用ゲーム機に落とし込むときに、トルネコというキャラクターを選んだ理由は何だったのでしょう?
中村: 『ドラクエ』や『ファイナルファンタジー』といった主流のRPGと比べたとき、プレイヤーが倒れるとレベルも所持金もゼロになるというシステムも含めて、あまりにもルールがわかりづらいと感じまして。せめて、アイテムやモンスターの名前がわかっていると、イメージが伝わりやすいと考えた結果、『ドラクエ』のキャラクターを使わせてもらうのがいちばんいいんじゃないかという話になったんです。それで、『ドラクエ』の中で、どの主人公がいいかと考えた結果、トルネコを主人公にしてアイテムを集めることを目的にすれば、わかりやすいなと。それで、堀井さんたちにお願いをして許諾を得まして、『トルネコの大冒険』になったんです。
'――': : 『トルネコの大冒険』は、いきなりヒットしましたよね。
中村: そうですね。やはり『ドラクエ』の影響も大きいと思います。
'――': : これ以降の開発体制は、不思議のダンジョン系とサウンドノベル系の2ラインというイメージで、今度はサウンドノベルの『かまいたちの夜』が大ヒットしました。原作を担当された我孫子武丸さん(ミステリー作家。"速水三兄妹"シリーズなど代表作多数)とは、この後、長いお付き合いになりますよね。
中村: そうですね。その後も、ずいぶんといろいろとご協力いただいております(笑)。
'――': : 我孫子さんとの接点を改めておうかがいできますか。
中村: 『弟切草』に封入したアンケートはがきで、"つぎはミステリーがやりたい"というユーザーさんの意見が多かったんです。それで当時、若手のミステリー作家の先生方20人くらいに、「サウンドノベルというものを作っているんですが、興味ありませんか?」と手紙を出したんですね。そうしたら、我孫子さんからお返事をいただいて、「『弟切草』プレイしましたよ」と書かれていたので、「じゃあ次回作をいっしょにやりませんか?」という話になったのがきっかけですね。
'――': : 手紙というのが時代を表していますね。その後、『かまいたちの夜』シリーズもそうですが、『TRICK×LOGIC』などでも我孫子さんといっしょにやられていますから……。
中村: 『かまいたちの夜』が今年で20周年ですので、もう20年以上の付き合いですね。
'――': : 『かまいたちの夜』を作った当時は、ヒットするだろうという手応えはありましたか?
中村: それこそ、ファミ通さんで連載させていただいて、期待作としてのランキングもどんどん上がって、「これはいけるぞ!」と思っていました(笑)。
'――': : ありがとうございます(笑)。『かまいたちの夜』は人によって語るポイントが違うと思うんですが、個人的に思い出深いのが縦読みの"リセットしろ"というメッセージから始まる"チュンソフ党"です。あれは、本当にドキドキしました。ああいった仕掛けがチュンソフトらしいなと。
中村: あれは、我孫子さんが「こういうことできませんか?」という話で提案してくれたような覚えがあります。確か、「リセットを押したかどうかってわかるんですか?」と聞かれて、「できますよ」と答えたところから、我孫子さんがシナリオを書いてきたんじゃなかったかなあ。
'――': : リセットは、ふつう押してはいけないボタンなので、余計ドキドキしましたね。そして1年後に、御社の看板タイトルになる『シレン』シリーズが発売。『トルネコの大冒険』の続編ではなかったのは、2作目からはオリジナルのキャラクターにしたいという意図があったのでしょうか?
中村: 『不思議のダンジョン』シリーズとして、『ローグ』から『ネットハック』(PC用ソフト。『ローグ』を進化させ、多くのアイテムやシステムが追加されている)に進化させるときに、ダンジョン内のお店で泥棒をするという、あのスリルをどうしても再現したくて。でも、トルネコだと"自分が商人なのに泥棒なんてやってもいいのか"という点で難しかったんですね。それに、『ドラクエ』の世界観では出しづらいアイテムやモンスターも多かったので、いっそオリジナルでやろうと考え、『シレン』になりました。
Questions and Answers (Part 1 - English)
This translation was posted to the website shmuplations.com by (Name redacted for privacy) on an unknown date.[3] The earliest known mention is the shmuplations.com Patreon account on September 25, 2018 AT 5:30 AM.[4] The wiki has been granted by the translator to use the English translation of this interview for our archive.
—: I'd like to begin by saying congratulations on Chunsoft's 30th anniversary! In honor of this occasion, I've brought a boatload of Chunsoft and Chunsoft-related games here…
Nakamura: Whoa, amazing! Hah, you've even got Tetris+Bombliss there. (laughs) It makes me really happy to be greeted like this—most people aren't aware that we developed that game! (laughs)
—: It's a legendary game. (laughs)
Nakamura: Now that I think I about it, in a certain sense, that may be true. Especially when you consider all the amazing people like Tsunekazu Ishihara (of Pokémon fame) who were involved.
—: Can you tell us how Tetris 2 + Bombliss came to be? I realize we're taking an immediate digression here, but… (laughs)
Nakamura: (laughs) It started when Ishihara played Tetris for the first time, on his computer I believe, and really fell in love with it. He did a bunch of research and learned that it was made by someone in the Soviet Union. Ishihara was planning to go to the Soviet Union to secure the rights, but he discovered that Henk Rogers (creator of The Black Onyx) of Bullet Proof Software (BPS) had just beat him to the punch and got the rights. Ishihara also met with Alexey Pajitnov (the creator of Tetris) when he came to Japan. He learned some greetings and basic expressions in Russian too. (laughs)
—: He sounds like Tetris' number one fan. (laughs) But you're right, all those famous people… it's amazing.
Nakamura: BPS then released a port of Tetris on the Famicom, but the controls in that version didn't allow you to rotate the tetromino pieces while dropping them—it only allowed for "hard drops". At Chunsoft we started playing the Famicom Tetris, and by and by, the desire grew in us to create a version of Tetris that would satisfy our desires as Tetris players… Ishihara, in particular, was so obsessed with Tetris that he wrote a book about it, and he gathered me and Masanobu Endo (the creator of Xevious and Tower of Druaga) together, and entreated us: "Let's make our own Tetris game!!" That was how Tetris 2 + Bombliss got started.
—: At the dawning of the Famicom era, with all the top aces gathered together… that's a once-in-a-lifetime kind of development.
Nakamura: Everyone was so excited about it, it felt like we were back in one of our high school clubs. (laughs) We learned a lot while creating our own Tetris game, and eventually decided to make something with our own original rules, and that was how Bombliss got added to the mix. Ah, thinking about it all now, it's very nostalgic for me.
—: Thank you for sharing such a precious story with us. How does it feel now to be celebrating 30 years of Chunsoft?
Nakamura: Seeing this list of all the games we've made over the years, 30 years seems like quite a long time, and yet it also went by so quickly… when I look at that list, and all the things we've done, I'm also filled with a lot of pride.
—: Yes, you were very busy those 30 years!
Nakamura: Yeah, we were active from the era of the PC-8001, the dawn of the home pc/console era. We were right there at the start of it all.
—: I understand that programming was originally a hobby of yours, which eventually led you into designing your own games.
Nakamura: Indeed, it all begin for me with the game submissions I sent to magazines like I/O, so while it may be 30 years for Chunsoft, if you include the time I made games in high school before establishing the company, it would be more like 34 or 35 years that I've been making games.
—: Back then, in high school, did you believe such a long career making games was your future?
Nakamura: At the time, I wasn't thinking this would be a long-term thing. My goal in those days was just to try and re-create, on my computer, something that resembled the games I had played at the game center. Later, with the release of the Famicom and other home consoles, I realized it would now be possible to play arcade-quality games in the comfort of your home. But, to be honest, when I look at smart phone games and modern consoles, and how much power they contain in such a small device—it's really all the more amazing to me, having lived through and experienced the early PC days.
—: When did you decide that you were going to make a living as a game designer?
Nakamura: Since my high school days.
—: And you stuck with that dream the whole way.
Nakamura: Yeah. Since high school, I knew I wanted to join a game company, or create a game company like Namco.
—: Namco, that makes sense.
Nakamura: Well, it's because at the game centers back then, Namco's games really shined. (laughs)
—: It's quite the bold ambition to want to start your own company like that. Were you more inclined toward the administration and management side, or the creator side?
Nakamura: I wouldn't say I never thought about practical administrative things, but I wasn't very conscious of it. My love for games was the starting point for me, and from there I gradually became obsessed with creating them myself.
—: The programming, too, has made so much progress since those early days of BASIC and Cobol.
Nakamura: I no longer understand modern programming languages very well. (laughs) It was around the Famicom that I started moving away from programming, and into other roles.
—: Yes, I understand you started working on the business side of things more starting around the SFC/N64/PS1 era.
Nakamura: Yeah. I believe I worked as a programmer up to Otogirisou. After that I shifted toward producer and director roles.
—: I'd like to trace back some of that history, using this chronology and list we've got here to identify some of the key "turning points" for Chunsoft. And the first turning point I can see, was when you first established Chunsoft as a company. You were still in college, then?
Nakamura: That's right.
—: What led up to you deciding to start Chunsoft then?
Nakamura: Since high school, I had always thought I would go to Tokyo and start a game company. When I actually did make it to Tokyo and began college, I started talking about those plans with my friends. So four or five of us started using my apartment as our office, where we made games like Door Door mk II and Newtron.
Then we said, hey, why don't we try and register as an official corporation and rent out an office, even if it's a single room. It was just before I was going into my second year of college, during spring break, that we went around with a realtor and found a good place, and Chunsoft was officially established that April.
—: Are any of those original founding members still working at Chunsoft?
Nakamura: The only ones left are myself and Kazuhiko Nakanishi (Chunsoft Product PR manager).
—: I imagine many people from this generation don't know the origins of the "Chunsoft" name… would you mind explaining it again here?
Nakamura: You're probably right. (laughs) I liked mahjong in high school, and played it a lot. One of my friend's nicknames for me was "Chun", from the mahjong tile. We used that name for the main character "Chun-kun" in Door Door. That game turned out to be a hit, and we thought it was a good omen, so we chose Chunsoft as our company name.
—: After establishing Chunsoft, the Famicom came out. What was your first impression of it?
Nakamura: I thought "This is amazing!" I believe the first game for the Famicom was Donkey Kong. I remember being shocked when I saw it: I couldn't believe you could now play an arcade-quality game at home, at that price!
—: And did you think you wanted to get into Famicom development yourself?
Nakamura: I did, yeah. I was imagining all the cool things we'd be able to do with it.
—: The first Famicom game you made was a port of Door Door, and then came The Portopia Serial Murder Case only 4 months later. Including yourself, how many developers were working at Chunsoft then?
Nakamura: We had three or four programmers, not including me. We had one person working on graphics, generally, so about 5-6 people in total. Today it's hard to believe we made games with so few people back then. (laughs)
—: Nakamura, I imagine there are many games you like, but what game(s) would you call your starting point?
Nakamura: It would have to be the old arcade games. I played most of the famous and popular games then. The first would be Space Invaders, I think.
—: Would you call Space Invaders a "formative experience" for you, then?
Nakamura: Well, before Space Invaders—even before there were game centers—I would play pinball games that were set up at the rooftop level of department stores. Also, those old gunscope games, where you pull the trigger and the tanks would go crashing down… remember those?
—: Ah! Yeah, I remember them!
Nakamura: I played those, and also driving games, the ones where a steering wheel was affixed to the machine, and you'd drive these twisty paper roads that scrolled downwards. I loved those, I played them a lot.
—: It sounds like you played many analogue games before the digital wave came crashing in.
Nakamura: Yeah. So before Space Invaders, there were block-breaking games, and that game where the little clown dances around popping baloons, "Circus"… I played the heck out of those too. And then, before long, we entered the era of Space Invaders… I played that game so much that I could pretty much play forever on a single credit. But there were bugs, and sometimes I'd just suddenly die for no reason.
—: Hah, really?
Nakamura: There was a bug that would cause your ship to explode even though you didn't do anything. Otherwise, though, I could play all day for 100 yen. The staff used to have to come over and tell me, "Excuse me sir, but we're closing soon…" (laughs)
—: (laughs)
Nakamura: I guess that's a good problem for a game center to have. (laughs) But yeah, I was that obsessed with Space Invaders.
—: And how did it come about that you started using a computer to make your own games?
Nakamura: Before high school, I had no interest in computers, but in school we got to use them in class, and there was a club centered around them. It wasn't an official school club—just a group of individual enthusiasts—but there I saw a demonstration of some Heiankyo Alien-type game. When I saw it, my thought was, "Hey, if I join these guys, I can play games every single day for free!" (laughs) That was my motivation for joining the club, and it was also my first real encounter with computers. After I joined them, one of the older students taught me programming, and I found programming to be totally fascinating—not just games, but all of it. After that I was hooked.
—: That was the BASIC era.
Nakamura: Yes, though at first we learned something even simpler than BASIC… I was taught to program on a programmable calculator. You could only code 256 lines worth of information, and it was extremely slow. Your eyes could literally see it scroll through the 256 steps, line by line. If you tried to make it do something too hard, it would cause technical problems. (laughs)
—: In those days you really needed to know how to optimize and simplify your code.
Nakamura: Yes. But by learning those techniques, I came to understand the inner workings of the computer on a deeper level. It was a kind of competition between us in the club, to see who could run something the fastest, or who could write a program with the fewest lines of code.
—: It's like the programming itself was a kind of game, right? And from there, you became interested in computers themselves.
Nakamura: That's right. I remember I got a part-time job to save up money and buy a computer, but I was very confused about which computer I should buy. There was the NEC PC-8001, the Sharp MZ80, and many other choices.
The MZ was the mainstream choice then, as the NEC had only just come out, but the NEC could use color, and there was also this really popular game that had been submitted to I/O called "Geimu Kyoujin"… the guy who made that game had used an NEC computer, and I was a huge fan of his Space Invaders-clone game too. "I want to do that too!", I thought to myself, and went with the NEC. Now that I look back on it, it was a very fateful choice… who knows how different my life would have ended up had I chose the MZ80.
—: Another "turning point", then.
Nakamura: Yeah, I think so.
—: Did you start making games by manually typing in the code from those I/O submissions, then?
Nakamura: That is how I started, but before long I really wanted to make my own games, and little by little I began to write my own, real programs.
—: Did you always stick with NEC computers?
Nakamura: I used NEC computers from the PC-8001 up to the 8801. At that time, my computer was hooked up to my CRT tv, so you couldn't display a lot of text like you can today. It was limited to something like 40×20 characters. And being a tv CRT screen, it was hard to see. (laughs) So I did all my programming in black and white. For debugging, too, back then printers were still too expensive to own individually, so I had to check each line of code one-by-one as I went.
—: You got to experience that very early era of no sound and no color.
Nakamura: Yeah. We counted memory in kilobytes… the words "megabyte" and "gigabyte" were unknown to us, and frankly, I think that much space would have been beyond our comprehension. (laughs)
—: The size of a single e-mail today could hold countless old games.
Nakamura: I wonder how many Dragon Quests you could fit in a single iPhone photo. (laughs)
—: Right, the first Dragon Quest was only 64kb. I heard you had to shave off a lot of the dialogue to make it fit.
Nakamura: We had to get rid of more than half of the katakana characters, and then we had to re-write the names of spells and towns with the remaining characters. That kind of tear-jerking work truly was the defining feature of game development in those days.
—: Chunsoft worked within a diverse number of genres back then. You started with action games like Door Door and Newtron, but also did things like Portopia, an adventure game.
Nakamura: When people think of Chunsoft, I think they mostly think of Dragon Quest and our sound novel games, but originally we focused on action, or what you might call "real-time" games. And there were other games we made then, from a wide variety of genres, which never garnered much popularity.
—: Were you essentially making the games that you all wanted to play yourselves, then?
Nakamura: That was part of it. Also, we'd also see an arcade game we thought looked neat, then try and re-create it "by ear", and then submit that to the various computer magazine contests. We did that with Konami's Scramble, for instance.
—: It seems like those programming competitions were really a defining feature of that era. I'd like to circle back now and ask about the creation of Door Door… your meeting with Enix was another fateful turning point, was it not?
Nakamura: Yeah. Right when I started my third year of high school, Enix held a computer programming contest. The NEC PC-98 had just come out, but it cost around 300,000 yen (3000 USD), which was too expensive for a high school student. There was an NEC shop near my house, and one day the owner handed me an Enix flyer for the contest, saying "Nakamura, if you win this contest the prize is 1,000,000 yen (10,000 USD)." And the game I created for that contest was Door Door.
—: Wow, you just created it all of a sudden like that!
Nakamura: Back then, copyright with computer games was murkier than it is today, and my first thought was to make a knock-off of Namco's Dig Dug, which I was really into at the time. However, the idea of just creating an imitation started to bug me, and people around me told me that if I was going to submit something to Enix, I might as well aim for an original game. Of course it seems obvious now that I think back on it. (laughs) So I started to think about how I could translate the appeal of Dig Dug into a different form, and Door Door was the result.
—: Ah, that makes sense. The rocks in Dig Dug are kind of like the doors you open in Door Door…
Nakamura: Yeah. It's the same basic concept, of herding enemies to defeat them.
—: You were awarded the runner-up prize for Door Door. I believe the first place prize went to Kazuo Morita, the creator of "Morita Shogi".
Nakamura: Yeah. He didn't win for his shogi game though—it was actually a war simulation game he submitted, "Morita Battlefield."
—: That contest was your connection to Enix… and I believe Yuji Horii also submitted a game.
Nakamura: Horii submitted a tennis game called "Love Match Tennis"… I'm surprised I still remember the title, especially seeing as I have a hard time remembering the titles of most recent games. (laughs)
—: (laughs) You also met Enix producer Yukinobu Chida then, which led to the formation of the core Dragon Quest team.
Nakamura: Yeah, though Koichi Sugiyama and Akira Toriyama joined later. As for Horii, he originally ran a reader-submission column in Weekly Shonen Jump, and while he contributed to this contest anonymously, he came to the award ceremony in his capacity as an editor/journalist.
—: Was it there that you started talking about making a game together?
Nakamura: No, it didn't happen right away. Later, after Chunsoft made Newtron, the Famicom came out, and we ported Door Door for it. In due course we approached Enix about porting Newtron as our second Famicom title. However, in those talks, Enix expressed a preference for a more adult-oriented title, and suggested we make some kind of adventure game next.
I said I was worried about our ability to make a good adventure game given the memory constraints of the Famicom, but Chida suggested The Portopia Serial Murder Case, which could work because it only had 20 pictures. From there we met with Yuji Horii, who was the scenario writer for Portopia. That game was the first project Horii and I worked together on.
—: So porting Portopia to the Famicom was a vital link in the chain, then.
Nakamura: I didn't know if we'd actually be able to make Portopia work on the Famicom, but we employed a lot of tricks with the graphics and text and somehow pulled it off. Now that I think back on it, Portopia too was a pretty impressive feat given the space limitations.
—: Portopia became a very famous game. That meme about Yasu1 is still popular online today…
Nakamura: There was no internet back then, but Portopia steadily spread by word-of-mouth. Chida had a producer-like role and tied everything up, while Horii wrote the scenario, and Chunsoft did all the programming.
—: Did you do the programming yourself?
Nakamura: Yes, for Portopia, I programmed everything. That was also true with Door Door, and for the first Dragon Quest (everything excluding the music).
—: All of it?!
Nakamura: That's how things worked back then. (laughs) Though starting with Dragon Quest II, I did less.
—: That makes sense though, considering what a jump in volume/content there was from DQ1 to DQ2 and beyond.
Nakamura: There was a question I was asked earlier for another interview, about what has been the biggest challenge during these 30 years with Chunsoft, and the hardest period, I feel, was the making of Dragon Quest II. (laughs)
—: Given your 30 year history, that's surprisingly early! Can you tell us more about that time?
Nakamura: As I mentioned above, I had worked with teams before, but our roles were always clearly defined, and everyone worked on their parts independently, more or less. But with Dragon Quest II, for the first time we had 3 or 4 different people working on the programming. It was my first time working together with others like that, and in the beginning we had a really hard time deciding the things that needed to be decided, and we began without really having a meeting of the minds, and this caused all kinds of problems. Halfway into the development bugs started cropping up and things suddenly started going awry, but no one knew in whose portion of the programming the bugs resided. None of us were true "professionals" then—we still had one foot in the student world—so everyone started blaming everyone else" "This is your fault!!", and it created a hostile atmosphere in the development.
Honestly, during that project, I spent more time mediating between conflicts than I did debugging. (laughs) And because of all that, the release date got delayed. The finished game also had a lot of balance issues, despite how much of a struggle it was… it was such a disaster that I actually thought about quitting altogether.
—: Wow, it was that bad…
Nakamura: Yeah. However, at the same time, when I was asked what the best experience I've had in my 30 years at Chunsoft was, I can also point to the release day of Dragon Quest II, when we saw people standing in those amazingly long lines to purchase the game.
—: It was a huge hit.
Nakamura: It caused such a commotion that it got featured on the news. I was so happy.
—: It felt like the popularity of Dragon Quest took a huge jump from DQ1 to DQ2.
Nakamura: From our perspective as developers, when we played the finished version of DQ1, we all thought it was really well done, the balance was good, and we were convinced "this is going to be huge!" However, despite steady sales, it didn't have the impact we had hoped for, and in light of that, when DQ2 exploded, I was a little surprised: "wow, so many people are playing a game that is this difficult…". I still feel that way today. (laughs)
—: Yeah, that whole area around Rhone was really hard…
Nakamura: The Defeat spell is a real nightmare. (laughs)
—: Even you think so too! (laughs)
Nakamura: Everyone did. (laughs) I thought it was brutal when I actually played it myself. And yet, perhaps it's partly that challenge that contributed to the series' growth in popularity, as everyone was talking about it. And back then you couldn't just look up solutions online.
—: DQ2 came out very shortly after the first game, too. You said it was delayed, but even then, it was less than a year between them. That seems unbelievably fast to me.
Nakamura: And yet we were constantly told "you're late!" (laughs)
—: How the times change. (laughs) How did things change around you, after DQ2 became a big hit?
Nakamura: At the development office, that final push was a crazy and chaotic time. But once the development was over, it took about 2 months for the carts to be produced and released commercially. So by the time they went on sale, at Chunsoft we were already in the middle of planning our next project. Thanks in part to that timing, I remember feeling a gap between our feelings as developers and the public excitement when Dragon Quest II was actually released.
—: I see. That's another feature of the cartridge era, no doubt. Well, I want to ask more about the Dragon Quest series, but I'd also like to move on to our next "turning point"…
Nakamura: Yeah, at this rate, we'll never get past the early days of Chunsoft. (laughs)
—: I think the next turning point, then, would be when Chunsoft become a publisher with Otogirisou. That game was released before Dragon Quest V, but the decision to become a bonafide publisher came earlier. How long had you been thinking about going that route?
Nakamura: I think more than wanting to be a publisher per se, we just wanted to make our own original games. Unfortunately, with each successive Dragon Quest game, the scope of the developments kept getting bigger, longer, and requiring more and more staff… there was no free time for us to work on our own game. However, once the Super Famicom came out, we took that as our cue: "if we're going to become a publisher, it's now or never." Masanobu Endo had actually just created his company Game Studio for the same purpose, so we talked things over, and we decided to both approach Nintendo at the same time about licensing.
—: You went together?
Nakamura: Yeah, I remember it well.
—: And then Otogirisou was the first game Chunsoft published under their own name, in 1992.
Nakamura: Nintendo was very enthusiastic and readily gave their approval, and we had wanted to release something earlier… however, we were busy assisting Enix with Dragon Quest V, so we couldn't get anything started any earlier. When the time came, we asked ourselves what we could make that wouldn't be too time-consuming in terms of programming and graphics, and the "sound novel" was our answer.
—: I see. Otogirisou definitely has a lot of volume to it, but structurally it is a simple game, for sure.
Nakamura: Yeah. Of course, that wasn't our only reason for choosing sound novels. The Super Famicom could do far more realistic sounds than the Famicom, even voice sampling, and we thought the sound novel would be a good format to capitalize on those new features.
—: You showed an early prototype of Otogirisou at the Nintendo Space World event, and there were no background graphics at all at that time.
Nakamura: That's right. Originally, the background was just a textured page (like from a book) with text, with the occasional animation like lightning or a car coming at you. However, when we announced the game, our marketing partners weren't thrilled. "I get what you're going for, but it's going to be very hard to sell like this." The gaming magazines said the same, that it would be hard for them to feature. (laughs) Partly for that reason, we added about 20 different backgrounds that change depending on the scene.
—: Being a new genre, I can imagine it was difficult for people to evaluate. It strikes me as very ambitious, though, for a new publisher to come out the gates with a brand new genre!
Nakamura: Yeah, I don't know. People have said that to me a lot, but if you look back at the very beginning of video games, for me, the conception of "genre" didn't exist. Take action games, for example: within that label you had shooting games, you had stuff like Pac Man and Dig Dug, and you had more puzzle-y games too. It was very diverse. On the same note, with adventure games, there were Ascii Magazine's games like Ometesandou Adventure and Minamiseizan Adventure, which were pure text adventures… but you also had things like Mystery House, which had a few pictures, or war simulation games like Fleet Commander. I played all those, and while I recognized there were many different types of games, I never thought about it in terms of genres.
—: Ah, those games you mentioned… so much nostalgia. (laughs)
Nakamura: (laughs) There was one point in particular that we really wanted to challenge ourselves on, with Otogirisou. Despite the fact that Dragon Quest had been such a hit, I had friends and family members who hadn't really played it much, and when I asked them why, they told me things like "It's hard to read because it's all hiragana" or "I can't figure out how to use the controller." I thought I would like to try creating a game that allowed those kinds of people the opportunity to experience games and get used to using a controller.
To that end, a game where all you had to do was read would be best—the controls, too, would be simple and only require you to select from different choices. It would be a game where you could enjoy the twists and turns of a good story, and that way, you wouldn't need good reflexes, and it should be something that the aforementioned people could play.
As for the hiragana issue, the Super Famicom hardware allowed us to use kanji script, and that was huge. Furthermore, based on my own experience, I felt like the text adventure genre didn't really have a good showing on the current consoles, and I wanted to change that. Otogirisou, then, was the solution I came up for all those various problems.
—: How were the sales?
Nakamura: We initially shipped out 120,000 units. At the time I remember wishing we had sold a little more (laughs), but Otogirisou had a really long tail, and we kept delivering extra shipments of 10 or 20,000 at a time, and ultimately it sold over 300,000. In the beginning, especially, it was often sold out, and people began to talk about it as this mysterious game: "I've heard of it, but I've never seen it in stores…" Maybe it helped contribute to the scariness. (laughs)
—: Right, like an urban legend. (laughs) So then, after Otogirisou, you made Dragon Quest V, and about a year and half later, you released Torneko no Daibouken.
Nakamura: After Dragon Quest V, we moved away from the Dragon Quest series, which was part of our resolution to develop our own independently published games.
—: Deciding to part ways with such a huge development as Dragon Quest—that seems like another incredibly fateful decision… did you ever have second thoughts about it?
Nakamura: We really wanted to make our own games, our way, and we had already made five Dragon Quest games so we felt a little burned out on it by then, like we'd given all we could. So there wasn't a lot of wavering there, no.
—: Torneko uses Rogue as its base (as do the Fushigi no Dungeon games), and just as Chunsoft's sound novels forged a new genre, I believe Torneko was the beginning of "roguelike" games on home consoles.
Nakamura: The Fushigi no Dungeon games have all been produced by my colleague Seiichiro Nagahata. He loved Rogue and used to play it all day long. I remember when he showed me Rogue: "Look at how fun this game is! Let's make a game like this next!" However, the first time I played it, I had no idea what the hell was going on. (laughs) I especially remember having no idea what the different items did. I was stuck for 2 or 3 days, not knowing what to do. Then, at some point I obtained two of the same item, and by using one of them I was able to identify and remember what it did. Once I realized that was the appeal of the game—figuring out what everything did on your own—I was hooked.
—: The original Rogue only used alphanumeric symbols, so it was really difficult to get a grasp on. (laughs) The '@' symbol was used for the hero.
Nakamura: Exactly. (laughs) And '!' was used for potions.
—: Players today would be shocked to see it, I think. (laughs) Why did you use the Torneko character when you decided to bring the Rogue genre to consoles…?
Nakamura: Compared with mainstream RPGs like Dragon Quest and Final Fantasy, I felt the rules for Rogue—including the system wherein you lose all your equipment, money, and levels when you die—were a little hard for new players to understand.
I thought we should at least let players know the names of items and monsters, and as we thought further about how to make it easier to grasp, we started to think that using Dragon Quest characters might be the best way to achieve that. Then we asked which Dragon Quest character would be most appropriate… if we made Torneko the hero, it would be easy for players to understand the goal of collecting items and treasure. So we asked Yuji Horii and he gave us his permission, and Torneko no Daibouken was born.
—: Torneko no Daibouken was a surprise hit.
Nakamura: Yes, it was. Naturally the influence of Dragon Quest was a big part of that, I think.
—: Looking at Chunsoft's games from this point onwards, I get the sense you had two teams working: one for sound novels, and one for the Fushigi no Dungeon series. Your next sound novel, Kamaitachi no Yoru, was a huge hit. This was the start of a long relationship between Chunsoft and Kamaitachi no Yoru's scenario writer Abiko Takemaru (the mystery writer for the Hayamisankyoudai series).
Nakamura: Yeah. We worked with him on many, many games after this. (laughs)
—: Do you mind if I ask how you met him?
Nakamura: A lot of the feedback postcards we got for Otogirisou asked us to do a mystery game next. So we sent out letters to about 20 different popular mystery writers: "We're making something called a 'sound novel', would you be interested in writing for us?" Abiko sent us a reply, saying he had played and liked Otogirisou, and so we invited him to work with us on our next game.
—: Ah, real letters… that really sends me back. Abiko worked with you on the sequels to Kamaitachi no Yoru, but he also helped out on TRICKxLOGIC, I believe.
Nakamura: This year is the 20th anniversary of Kamaitachi no Yoru, so it's been a 20-year long working relationship.
—: When you were making Kamaitachi no Yoru, did you have the sense it would be a hit?
Nakamura: Actually, it was kind of thanks to Famitsu, but you guys printed some columns that ranked people's excitement for new games, and Kamaitachi no Yoru kept climbing up… it made me think, "This is going to be a hit!" (laughs)
—: Thank you. (laughs) People have different things they remember about Kamaitachi no Yoru, but for me personally, I remember how one of the side-stories began with the spooky text "Press Reset…" That really got my heart racing. That kind of a trick felt characteristically Chunsoft.
Nakamura: I remember that was something Abiko suggested. He asked "Can we do something like this?" If I remember, he asked if the hardware could recognize if the system had been reset, and I answered that it could. He actually only began writing that side-scenario after he learned that trick was possible.
'—': : Normally the reset button is something you're not supposed to press, so I was super nervous. Well then, one year later, you put out the first game of your flagship series, Shiren the Wanderer. Why did you decide on creating a game with an original character, as opposed to making a direct sequel to Torneko?
Nakamura: When Nethack came out, it was an evolution on Rogue, and allowed for thrilling new actions like being able to steal from the shops inside dungeons. We wanted to replicate that excitement with our next roguelike game. But Torneko was a merchant and it would be weird for him to steal. On top of that, there were a lot of items and monsters in the Dragon Quest universe that didn't translate very well to a roguelike setting, so we decided we'd write a brand new scenario, and that became Shiren.
Questions and Answers (Part 2 - Japanese)
高い壁となった『街』の存在
――: スーパーファミコンとゲームボーイで『風来のシレン』を発売した後、プレイステーション(以下、PS)、セガサターン、ニンテンドウ 64の時代になりますね。
中村: チュンソフトとして最初に出したのは、サターンで『街』ですね。スーパーファミコンから、いろいろなプラットフォームが出てきて、さらにはCD-ROMにもなった時代でした。
――: いろいろなところで語り尽くされていると思うんですが、『街』というタイトルは、実写という点でも、ザッピングのボリュームでも、本当に異質なタイトルだと思うんです。
中村: もともと、『弟切草』の脚本を書いてくださった長坂さん(長坂秀佳氏)が、アイデアを出してくれたんですね。渋谷のスクランブル交差点で信号待ちをしているときに、いっぱい並んでいる人がいて、みんなそれぞれの人生があって、たまたま同じ場所にいるけど、その人たちを追いかけたら、それぞれにドラマがあるんじゃないか。しかも、ちょっと肩がぶつかったりすると、その人の人生が変わったりして……、というのをドラマにするとおもしろくなるはずだ、という提案をいただいて。そこからスタートでしたね。だから、いまでこそ『街』は10人の主人公(基本は8人。隠しシナリオの青井則生と高峰厚士を加えて10人。PSP版では、さらに追加される)の物語ですが、最初はスクランブル交差点にいる100人の話という構想だったんです。それが、いざ書き始めるとぜんぜん書けなくて(笑)。それで50人、30人と減っていって、最終的に10人になりました。
――: 『街』の100人構想ありましたね! 懐かしい。実写になったのは、渋谷という題材の影響でしょうか?
中村: 最初に長坂さんが提案してくれたときに、"カメラで実写"というのがあったんですね。あと、ROMからCD-ROMになって容量が増えたということも、その要因でした。容量が増えて何ができるかと考えると、グラフィックや画像データが潤沢に使えると思ったんです。当時、ほかのゲームでは3Dグラフィックだなんだと言っているなかで、『弟切草』でグラフィックよりもサウンドの進化を取ったように、『街』は実写のグラフィックに進んでいきました。それと、主人公は10人でも、登場人物はなんだかんだで100人近くいたんですね。この人たちを絵で描き分けるのもたいへんだし、アニメスタジオならまだしも、当時は10人ぐらいのグラフィックのメンバーで、ドット絵を何枚書けばいいのかと考えたら、現実味がなかった。そういう意味も含めて、実写という選択肢に至りました。
――: とはいえ、実際に実写の撮影をすると、いろいろな問題や難しさが出てきたと思うのですが……。
中村: 最初は、ビデオを回して一時停止の絵を切り出せばいいと思っていたんです。でも、それで実際にやってみたんですが、一時停止の絵は単なる一時停止にしか見えないんですね。おもしろいことに。いや、おもしろくないんですが(笑)。
――: (笑)。
中村: 一時停止なので、「早く再生ボタンを押して!」と言いたくなる絵ばかりになってしまって、気持ちのいいマンガのカットのような絵にならなくて。それで、ポーズを取って、カメラで1枚ずつ撮らないと、魅力のある絵にならないというのが、やってみてわかったことでした。『428~封鎖された渋谷で~』の時代は、デジカメが当たり前になっていたわけですが、『街』の当時は出始めたばかりで、プロカメラマンでも、デジカメを持っている人はほとんどいなかったんですね。ですので、フィルムで撮って、それを現像に持ち込んでCD-ROMに焼いてもらって……。「これは違う」となると、また後日セッティングして撮り直したので、たいへんな大変な手間がかかりました(苦笑)。
――: 撮り直しもあったんですね!
中村: そのうえで、「この看板、マズイよね」というものは、Photoshopなどで画像を修正して、結果、中身を作ることよりも、画像に関する労力が多くて、「ドットで書いても同じぐらいの労力だったかもね」と話していました(笑)。でも、いまの渋谷を見ると、『街』の風景とはぜんぜん違いますよね。ある種、古い渋谷の記録になっているかもしれません。
――: 映像的なインパクトもそうですが、ザッピングなど、ゲームとしての評価も非常に高かったと思います。
中村: ありがとうございます。でも、それまで自分がゲームを作ってきて、できたものに対する手応えやユーザーさんの反応というのは、ある程度自分の想像通りに来ていたんですが、この『街』という作品で、初めて壁にぶつかった想いがあります。
――: 壁ですか。
中村: それなりにおもしろいものはできたし、自分なりに手応えはあったのですが、そこまでの売上にはならなかったんですね。ロングスパンで売れて、13万本くらいだったかな。売れなくて評価も低かったら諦められるんですが、ファミ通さんのランキングでもずっと上位に入っていましたし、いろいろと評価をいただいているのに、なぜ売れないのかと、かなり悩んでいました。ユーザーさんの評判も含め、いろいろと話を聞いて、実写がダメだったとか、もっとアイドルがいないとダメとか、いろいろ言われましたけどね(苦笑)。考えさせられることの多い作品だったと思います。
――: 実写は拒否反応が大きかったという話はありましたが、でも『街』のPS版でシルエットを入れても……。
中村: そうなんです。PS版でシルエットを入れたんですが、今度は「やっぱり実写のほうがいい」と言われたりしました(笑)。
――: (笑)。いまお聞きできるのでれば、当時、PSとサターンの2機種で、サターンを選んだ経緯をおうかがいしたいのですが。
中村: ひと言でいうと、セガさんが非常にプッシュしてくださり、いろいろな協力をいただけたんですね。開発資金のご協力もそうですし、当時は入交さん(入交昭一郎氏。ホンダを経て、セガの社長に就任した)が社長で、東急百貨店や西武百貨店などの撮影許可も取っていただいたりしました。
――: ああ、なるほど。
中村: いろいろと熱いご協力をいただけて。それもあって、のちに"セガ×チュンプロジェクト"というものが立ち上がりました。
――: その後、PSでサウンドノベルのリメイクシリーズ"サウンドノベル・エボリューション"、『ドラゴンクエストキャラクターズ トルネコの大冒険2 不思議のダンジョン』を出して、ニンテンドウ 64で『不思議のダンジョン 風来のシレン2 鬼襲来!シレン城!』を発売されます。当時、『シレン2』は延期を重ねていた思い出があります……。
中村: はい。すみません(苦笑)。3Dグラフィックで本格的にゲームを作ったのは、これが最初だったので、苦労した部分も多かったですね。
――: 『シレン』シリーズは、その後ゲームボーイカラーの『不思議のダンジョン 風来のシレンGB2 砂漠の魔城』、『月影村の怪物』のWindows版やインターネット版、そして『不思議のダンジョン 風来のシレン外伝 女剣士アスカ見参!』と、かなり積極的に出されています。
中村: 当時、会社も大きくなっていたので、いろいろなハードを研究して、その成果を出せる状態になっていたんだと思います。
――: でも、たとえばインターネットを使った週替わりダンジョンや、ゲームボーイの通信ケーブルを使った"風来救助隊"など、いま考えると、かなり時代を先取りしていますよね。
中村: PCや携帯電話、インターネットもそうですが、社内にいろいろなことに興味を持っているメンバーがいたので、研究を兼ねて始めたら、じゃあ商品化しようかといった感じで動いていましたね。
――: 新しいもの好きなメンバーの趣味からゲーム化するような。
中村: そうですそうです(笑)。
――: それにしても、新しいものを多く手掛けていらっしゃる印象があるのですが、つねにイノベーションを起こそうという意識はあったのでしょうか?
中村: そうですね。対外的に発表していたわけではありませんが、意識はありました。新しい物を作るのってワクワクするじゃないですか。どうかな、受けるかな、売れるかな、みたいな(笑)。そういう楽しみを感じられるのが、何より楽しい。
――: それは開発者としての意識のように感じますが、経営者としても、保守的なものよりも斬新な企画のほうがいいと思われますか?
中村: 難しいところなんですが、僕は新しいほうがいいです。というのも、現場のスタッフは1作ずつアイデアも知恵も振り絞って作っていくので、それに対するアイデアが残っていないんです。もちろん、作ろうとすればいろいろアイデアは浮かぶんですけどね。我孫子さんも『かまいたちの夜』の1作目に、「自分のやりたいことは全部入れた」と話されていましたから。それもあって、2作目を作るときは、牧野さん(牧野修氏。小説家)や田中さん(田中啓文氏。小説家)に手伝ってもらったんです。
――: ちょうどお話が出ましたので、『かまいたちの夜2 監獄島のわらべ唄』のお話をお聞きしますが、和風の要素が強くなったりと、いろいろ変わりましたよね。PS2で豪華になったと言いますか、シルエットもキレイになりましたし。
中村: その前から『2』を作りたいと言っていたんですが、なかなかアイデアがまとまらなくて。そこに、先ほどお話をした通り、田中さんや牧野さんを始め皆さんの力をお借りして、みんなで集まってブレストをしながら固めていきました。結果、「以前が冬の山だったから、今度は海か」みたいに、ものすごく安易な発想もありましたが(苦笑)。
――: とにかくすごいゲームで、ユーザーの反応としては賛否両論があった気がします。
中村: いい反応も悪い反応もいろいろいただきました。怖さもあったと思うんですが、気持ち悪さもあって、"やりすぎだろ"という意味で、反省するところもありましたね。
――: そして、『ドラゴンクエストキャラクターズ トルネコの大冒険3 不思議のダンジョン』などを出しつつ、チュンソフト20周年記念に合わせて、『シレン・モンスターズ ネットサル』、『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』、『ホームランド』の3作を発表されましたね。これは、20周年を記念して、まったく新しいものを作ろうとされたのでしょうか。
中村: そうですね。社内みんなで企画を出し合って、それぞれの発表会をしながら、"これはいけそうだね"というものを選びました。
――: どれもジャンルが違うというか、チュンソフトにとって新しい作品が多かったですね。とくに『ネットサル』は、自分が操作せずに、監督になるサッカーゲームですし。
中村: これは、開発にサッカー好きのメンバーがいたんですよ。『シレン』のシナリオを担当している冨江(冨江慎一郎氏)がサッカー大好きで、以前テクモ(現コーエーテクモゲームス)に務めていたのですが、そのころに『キャプテン翼』を作っていた人物なんですね。サッカーを語らせると、うるさいんです(笑)。
――: (笑)。20周年記念ソフトの2本目は、『3年B組金八先生』ですが、「なぜチュンソフトが『金八』!?」と、非常に驚きました(笑)。
中村: よく言われました(笑)。これは、もともと学校の先生を題材にしたゲームを作ろうとしていて、学校モノと言えば、『金八先生』という流れで調べてみたら、ライセンスを獲得できたんです。
――: 先生を題材にしたコンセプトから生まれたタイトルだったんですね。20周年記念3作目の『ホームランド』は、発売までかなり難航されていたように思います。
中村: ちょっと変わったオンラインRPGだったのですが、これがチュンソフトにとって初めての試みだったので、軌道に乗るまでなかなか時間がかかってしまいましたね。これも、『ローグ』のおもしろさを家庭用ゲーム機に持ち込んだように、プレイヤーがゲームマスターになる楽しみをネットワークゲームで再現しようとしたものでした。
――: ユーザーのゲームキューブがホストとなって、ほかのユーザーがつなぐという"かみさまプレイ"ですね。敵を配置したり、難度を変えたりと、非常に意欲的でしたが、とてもコアな楽しさでした。
中村: 自分たちで言うのも何ですが、ちょっと早すぎた仕組みでしたね(苦笑)。
――: お話をうかがっていると、本当にどれもこれも新しいというか、早すぎる先取りですね……。
中村: もともと新しいゲームが好きで、誰も触れたことのない技術や魅力に惹かれるスタッフが多いので、そういったものに触れて、いい点、悪い点を洗い出して、チュンソフトらしくゲーム化するんですが、それでもまだ時代を先取りしすぎていたんでしょうね。
セガ×チュンプロジェクト始動
――: 2005年にセガ×チュンプロジェクトが立ち上がりますが、これはどういった経緯だったのでしょうか?
中村: セガさんからお話をいただいたのがきっかけです。いくつか過去タイトルのリメイクも含めていたんですが、「『街』や『弟切草』のようなサウンドノベルシリーズを作りましょう」と言っていただけて。
――: なるほど。それが『忌火起草』になったり、『428』になったと。
中村: はい。先ほどもお話しましたが、『街』のときにセガさんにご協力いただいていっしょに作っていましたので、それの第2弾というイメージでしたね。
――: それまでパブリッシャーだったのが、デベロッパーになるということは、ここでも大きな変化だと思いますが?
中村: いえ、これはもうセガさんから「そういう形でやりませんか?」とお話をいただいたので、すんなりと。
――: そのころに、スパイク(当時)といっしょに、親会社となるゲームズアリーナを設立されていますよね。ドワンゴが親会社になって、スパイクとグループ企業になって、最終的にいっしょの会社に……。
中村: 当時、そこまでは予想していませんでしたね(笑)。
――: (笑)。セガ×チュンの第1作が、『かまいたちの夜×3(トリプル) 三日月島事件の真相』ですね。透と真理のシリーズとしては完結編になります。
中村: これは、本当はもっと早くに出す予定で作っていたんです。『かまいたちの夜2』でどうしても不幸になる人物が現れてしまったので、その後の話だけを入れたファンディスクのようなものを作ろうと。ただ、やっていくうちにどんどん入れたいものが増えてきて、ザッピングも入ってすごいボリュームになりました(苦笑)。
――: 透と真理、そして俊夫さんたちの話としては、まさに大団円で、シリーズを遊んできた身としては、エンディングが非常に感動的でした。続いて、ニンテンドーDSの『シレン』シリーズのリメイク作を経て、新作サウンドノベルとして『忌火起草』が発売になります。サウンドノベルで、まさかのセリフをしゃべるという。もともとは『弟切草』をイメージされていたというお話でしたが……。
中村: PS3になったことで、画像がHD画質になってかなりキレイになったんですが、それが予想以上だったんですね。途中段階でできあがったものを見たんですが、これは"声が聞こえてきてほしい"と思うほどのもので、それで急遽声を入れようということになったんです。
――: 最初から音声ありきで考えていたものではなかったんですね! 続いて、『不思議のダンジョン 風来のシレン3 からくり屋敷の眠り姫』が発売され、『428~封鎖された渋谷で~』が生まれます。『428』などは『忌火起草』の時点で平行して作っていたのでしょうか?
中村: そのころの『428』は、脚本を準備しているころかな。『428』と言えば、セガさんがてんやわんやだったらしいですね。ファミ通さんのクロスレビューで40点満点をいただいたので(笑)。
――: そうでしたか! それは、ありがとうございます(笑)。『街』の評判が非常によかっただけに、同じ渋谷を舞台としたサウンドノベルを作るというのは、かなりのハードルだったと思うのですが、社内ではいかがでしたか?
中村: そこまでプレッシャーを感じてはいなかったと思います。もともと目指していたものは『街』の続編ではなくて、同じザッピングを使って、マルチシナリオを楽しむというタイプのものでしたから。『街』のときは、あくまでも10人が平行に進んでいくお話でしたが、『428』はバラバラなお話かと思いきや、だんだんひとつの話になっていくというスタイルで、当時は『24-twenty four-』のブームで僕もハマっていたので、ああいう感じにしようとなったんです。
――: 『428』も最初は売上で苦戦していましたよね。いろいろなハードで発売されるにつれて、どんどん売上が広がっていった印象ですが、『街』といい『428』といい、スロースターターで……。
中村: なんなんでしょうね(苦笑)。クロスレビューの歴代満点作品を見ると、ほとんどがミリオンセラーというすごいタイトルばっかりで、『428』は評価と売上がいちばん乖離しているんじゃないかとハラハラしていました(苦笑)。でも、おかげさまでPS3やPSP、iOSといったほかの機種への移植で、販売本数はかなり伸びました。
――: 『428』の1年後に、『極限脱出 9時間9人9の扉』が出ますが、これは打越さん(打越鋼太郎氏。フリーランスで『Ever17』などの作品を手掛けたのち、チュンソフトに入社。現在は、スパイク・チュンソフトに所属しながら、MAGES.とのコラボレーションで新作を制作している)の入社でできた作品ですよね。
中村: そうですね。サウンドノベルとも違う、新しいタイプのアドベンチャーゲームで、僕もテストプレイをしたときに、なかなか正解ルートに進めず、「これ、バグってるんじゃないの?」って聞いたりしました(笑)。
――: (笑)。さらに平行して『不思議のダンジョン 風来のシレン4 神の眼と悪魔のヘソ』を発売されますが、このあたりでは、中村さんはプロデュースというよりも、監修のようなイメージでしょうか。
中村: はい。ただ、自社の作品をこう言うのもおかしいんですが、『シレン4』はすごくよくできているというか、自分自身も相当やりこみました。
――: 舞台が、南の島になっていて驚きました。「シレンが、バナナ食べるのか!」と(笑)。
中村: これは、なんとかして『シレン』を海外進出できないかという考えがありまして……(笑)。それで、「日本にいちゃダメでしょ」という発想で、シレンも海の外に出そうと、雰囲気を変えて南の島にしたんですね。
――: そんな裏話が(笑)。セガ×チュンプロジェクトのさなか、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)さんの発売で、『TRICK×LOGIC』を開発されています。早解きキャンペーンがおもしろかったですね。
中村: これも早かったゲームですね。いまなら、もっと別のシステムを使えそうですし、何よりスマートフォンなどのほうが向いている気もします。このときは、SCEさんから「ノベルゲームという題材でいいアイデアはないですか?」とお話をいただいて、社内で温めていた3つの企画を見せたところ、この『TRICK×LOGIC』が選ばれたんです。
――: 『TRICK×LOGIC』は歯応えがありましたが、すごく楽しかったです。このシステムで新作が遊びたくなります。
中村: ありがとうございます(笑)。もともと社内でも簡単に解ける人と、ずっと解けない人の2極化になっていて、そこの調整が難しかったです。カンタンに解けちゃう人には味気ないし、わからない人は難しくて投げ出してしまうと。
――: 中村さんご自身は解けましたか?
中村: 僕はどっちかというと、犯人やトリックはわかっているけど、どこの文章を抜き出せばいいのかがわからないというほうに陥りましたね(苦笑)。
パブリッシャーへの復帰。そして、合併へ
――: 第二次パブリッシャー時代として、『不思議のダンジョン 風来のシレン5 フォーチュンタワーと運命のダイス』で、パブリッシャーに復帰をされますが、これはどういった経緯で復帰されたのでしょう?
中村: セガ×チュンプロジェクトとして約束していた数のタイトルを発売したので、契約が満了したんですね。ですので、それ以前の形であるパブリッシャーに戻ったんです。
――: 『シレン5』は、『シレン4』と同じ年に出されていますよね。長く遊べる『シレン』が1年に2作出るのは、とても珍しいと思いましたが。
中村: 確かに1作が長く遊べるのですが、かといってナンバリングを出すのにあいだが空きすぎると、ファンの方が去ってしまうという意見もあって、テンポよく出すことにしたんですね。あと、もともと『4』を作るときにかなりのアイデアが出ていて、『4』だけでは使い切れないから『5』に入れようという話もありましたね。
――: 続いて、また新たなチャレンジとして、『ぞんびだいすき』を発売されます。かわいらしい見た目ですが、歯応えのあるリアルタイムストラテジーで、しかも題材がゾンビ。いろいろ突っ込みどころが(笑)。
中村: 大勢のキャラクターをタッチペンで動かすというのが、大元のコンセプトで、団体をぐるっと囲って、「お前らはこっち!」といったことをやりたかったんですね。そんな中で、ぐるっと囲んだのに、ひとりだけウロウロと違う方向に動いているキャラクターがいて、そいつのことを「ゾンビみたいだな」とか言っているうちに決まったんだと思います。
――: そして、『真かまいたちの夜 11人目の訪問者(サスペクト)』を発表し、発売するあいだに、スパイクとの合併を発表されます。改めて、この合併の経緯をお聞かせください。
中村: いきなり合併したわけではなく、ゲームズアリーナというグループがあって、その傘下でチュンソフトとスパイクが出会って、それぞれ別会社としてやりつつ、くっつけられるところはくっつけてと、試行錯誤をしていたんです。
――: その延長線上で合併だったと。でも、初めて聞いたときは驚きました。
中村: やっぱり、ビックリされました?
――: それはそうですよ!(笑)。
中村: (笑)。僕らも、自分たちの会社を冷静に見たときに、同じ業界にいるんですが、それぞれの持っている強みがうまい具合に重なっていなかったんですね。それなら、いっそいっしょになれば全方位でできるとなって、櫻井(櫻井光俊氏。スパイク・チュンソフト 代表取締役社長)と話をしたんです。
――: なるほど。そして、合併前に『真かまいたちの夜』と『極限脱出ADV 善人シボウデス』が発売されます。『真かまいたちの夜』は、これまでの『かまいたちの夜』シリーズとはまったく異なる、新章としてのお話ですね。
中村: はい。ミステリーは登場人物を踏襲すると、前作を知っている人と知らない人で見えかたも違うし、いろいろとやりづらい部分があったのと、『×3(トリプル)』で前シリーズが完結していたので、一新しました。
――: マルチプレイの"みんなでかまいたち"が大好きでした。いわゆる"人狼"ゲームのようなゲームで、ただ、これも時代の先取りですね。
中村: 参加者全員で、ある程度時間を揃えなくてはいけなかったりと、時間的な制約が難しかったですね。
――: スマートフォンで出していただきたいです! そして、チュンソフトとして最後の作品になるのが、『極限脱出ADV 善人シボウデス』。これは『999』も含めて海外の評価が非常に高いですよね。
中村: そうですね。日本発のアドベンチャーが、海外で受け入れられるというのは、これからの可能性も含めて期待が大きいです。
中村光一氏が見る、次世代のゲーム
――: というわけで、長い時間をかけてチュンソフトの歴史を振り返っていただきました。ありがとうございました。そして、お疲れ様でした。
中村: 他人事のようですが、改めて年表にすると、こんなに出来事があったんですねえ。これ以外にも、『ポケモンダンジョン』もありますし。
――: 時間の都合上省いてしまったものもありますが、リメイクなども含めると、もっともっとありますから。振り返って、もっとも濃い時代というのは、やはり会社を立ち上げた当初でしょうか?
中村: それぞれの時代にいろいろな思いはありますね。でも、振り返って、トータルで思うのは、時代時代に振り返って語ってもらえるようなものはしっかり作れて来れたなということ。これはよかったと思います。
――: ここからは、チュンソフト以降、スパイク・チュンソフトとしてのお話や、中村さんの最近の状況などについておうかがいします。合併してスパイク・チュンソフトになってから約2年が経ちましたが、現時点での感想をおうかがいしたいです。
中村: 合併前にスパイクとチュンソフトが引っ越して同じオフィスになったこともあって、あまり大きな変化はありません。ただ、チュンソフト時代は、基本的に自社のタイトルをある程度遊んで、だいたいを把握していたのですが、元スパイクチームの扱っているタイトルがとても多く、ボリュームもすごいので、会社が大きくなるにつれて、全部を見ることもできなくなってきました。とくに、海外作品の移植ものは物量もすごいので、かかる時間も多くて……(苦笑)。
――: 『セインツロウ IV ウルトラ・スーパー・アルティメット・デラックス・エディション』などはすごいですよね……。
中村: 『セインツロウ』は、やり始めたらものすごく要素が多くて、ユーザー目線で見ればいい反面、把握しようとするにはどこまでやればいいんだろうかと迷います(苦笑)。全貌が見えないというか、実際に遊んで「これってチュートリアルなのか?」と思いながらも、どこからが本番なのかもわからない。自然と本編に入っているとも言えるのですが。そういう意味では、ハードやソフト、タイトルもバラエティーに富んでいて、それらを会社全体として扱うようになったことが大きな変化でした。
――: 合併して、スパイクチームとチュンソフトチームが融合しているような部分はありますか?
中村: おもに開発関連についてですが、融合された混成チームもあるのですが、基本的には元スパイクの開発部隊、元チュンの開発部隊と分かれていて、完全な統合はしていません。プロジェクトも個別にやっているので、そういう意味での変化というのは、そこまで大きくはないですね。
――: 部署やチーム的にはあまり変わらないと?
中村: はい。ゲームって、1個のプロジェクトが長いですよね。2年とか、ヘタしたら3年くらいかかるものもあるので、以前のプロジェクトを引き続きやっている状態のところに、プロジェクトをまたいだ大編成をするようなこともなく、櫻井とも「そのあたりの融合は徐々にやっていけばいいんじゃないか」と話しています。おそらく、もっと壮大なプロジェクトが動いたときに、そういう融合が起こるかもしれませんね。
――: では、中村さんの最近のおもな業務と、ゲームへの関わりかたについてお聞きしたいです。
中村: 先程も言いましたが、ゲームとしては自社を把握するためのプレイが精一杯です(笑)。
――: 開発のほうから、中村さんにアドバイスを求めるようなことがあるとおうかがいしましたが?
中村: ある程度できあがったものを確認して、必要なことを言っています。とくにチュートリアルの部分とか……。あとはユーザーインターフェースなどの操作まわりでしょうか。
――: レスポンスのよさなど、ユーザーインターフェースはチュンソフトのお家芸ですからね。2014年9月に日本でXbox Oneが発売されると、新世代機が出揃いますが、携帯機も含めての最近のハードへの印象と、スパイク・チュンソフ
トとしてどこに注目していくのを、おうかがいできますか?
中村: 月並ですが、どのハードもすごいですね。この30年という時間を考えると、とんでもない進化です。『メタルギア ソリッド V グラウンド・ゼロズ』(以下、『MGSV』)もPS3版とPS4版を両方買って比べたり、『バトルフィールド4』はPC版も買って比較したりもしています。いつも思うのが、こんなにグラフィックがすごくなると、開発費がいくらかかっているのかと……(苦笑)。
――: 数秒のカットシーンひとつで、どれくらいかかるんだろうとか思いますね。
中村: そうなんですよ。ただ、映画もそうですけど、ゲームも作った物量=値段ではなく、お客さんとしては遊んだ時間で価格が高いか安いかを判断されることが多いので、『MGSV』も今回は本編の一部ということで、安くなっていますが、かかっている費用としては、かつての6000円や7000円ぐらいの内容は詰まっているのになあ……と思ったりもします。たとえば、うちから出している『ブラザーズ 2人の息子の物語』も、グラフィックが相当作り込まれていて、プレイ体験からしてもかなりの満足度があると思うんですが、プレイ時間で考えるとそこまで長くないので、1500円という値段設定になってしまう。最近のハードの進歩に対する開発費の高騰と、ユーザーの遊んだ時間に対する満足度を考えての値段設定は、とても難しい時代になっているなと感じます。
――: 昔はROMの容量で値段が変わっていましたが、現在、容量は膨大で、値段に上限がありますね……。先ほど『ブラザーズ』のお話も出ましたが、最近は少人数で制作するインディーゲームが台頭していますが、少人数という点では、中村さんが『ドアドア』などを作っていた時代と通じるものがあると思います。昔のご自身が開発されていたころと、現在の状況を比べると、いかがですか?
中村: いま話したことの裏返しで、現在のゲーム業界は、それだけ開発費を投じてグラフィックを作り込んでも、元が取れるかどうかという状況になっています。そうなると会社としては、前作が売れたもの、もっと言うと、ワールドワイドで数百万本以上売れるものを求めることになる。すると、作るべきゲームのテーマがだいたい限られてきてしまうんですよね。いわばFPS(一人称視点シューティング)か、その要素を入れたものですね。その結果、いままで以上にシリーズ化偏重の流れになってしまうわけです。そういう状況の中で、グラフィックは作り込むほどではなくても、アイデアで勝負ができるのがインディーゲームのよさで、目新しいおもしろさを追求するという、それこそ僕らがゲームを作っていた時代に重なる部分が出てきていると思います。この流れで、ぜひもっと新しいものが出てきてほしいですね。
――: インディーゲームがもっともっと増えていくと、"第二の中村光一"と呼べるようなクリエイターも出てくると思います。そういった、少人数やひとりで制作している方たちにアドバイスはありますか?
中村: 少人数だと、思う存分やりたいこともできると思うので、その少人数ならではのセンスを活かした、尖ったものを作ってほしいですね。
――: たとえば、iPhoneだったり、PS4を見て、中村さんの中で、「いまだったらこういうことができそう」というようなアイデアはありますか?
中村: アイデアだけで勝負ができるタイミングというのは、ハードの大きな変わり目と言いますか、グラフィックの進化ではなく、本当に新しいハードが出たときなんですね。そのタイミングこそ、アイデア勝負で新しい体験ができるものを作れば、爆発的なヒットの可能性があると思います。そういう意味で、この2、3年のあいだにスマートフォンが台頭して、『パズル&ドラゴンズ』のようなヒット作が生まれたわけですが、つぎのタイミングは、しきりに言われているGoogle Glass(Googleが開発しているメガネ型のコンピュータ)などのウェアラブルコンピュータだと思います。メガネにつけるのか、腕につけるのか、それともまったく別の場所なのか、ウェアラブルコンピュータが広まり始めたタイミングにこそ、おもしろいアイデアと新しい遊びかたが出てくるんじゃないかと考えています。
――: 単純に映像の進化だけでなく、新しいインターフェースが入ったデバイスが出る瞬間ですね。
中村: コンピュータからのアウトプットを活かした出力系のおもしろさもありますが、グラフィックなどの出力系には最初の驚きや衝撃はあるものの、人を長く楽しませるという点では、圧倒的にインターフェースなどの入力系のおもしろさのほうが重要だと思っています。たとえばですが、コントローラーでも、アナログスティックがついたことでおもしろくなったものも多いですし、少し前だとニンテンドーDSのタッチペンで、これまでは方向やボタンでしか示せなかった入力に、文字などが伝えられるようになり、『脳トレ』(『東北大学未来科学技術共同研究センター川島隆太教授監修 脳を鍛える大人のDSトレーニング』)のようなヒット作が生まれました。ですので、入力系という意味でも、ウェアラブルコンピュータには可能性があると思っています。
――: なるほど。社内で、そういったデバイス向けの研究をしようといった提言をされるのでしょうか?
中村: そうですね。そういうものが好きなスタッフが情報を集めたりはしています。
――: そういった発想を含め、中村さんの中で経営者とクリエイターの両方の視点から、ゲーム制作で心掛けていることはありますか?
中村: 難しいのですが、視点を切り換えて見るようにはしています。自社のゲームを見るときは、クリエイターとして、そしてユーザー目線で、おもしろいかどうかを見ます。最近とくに、大事だと思っているのは、ゲームの入り口だ と思っています。とくにパッケージからフリーミアム(フリー・トゥ・プレイなどの、基本無料で遊べる、アイテム課金制などのゲーム)が増えていくと、ユーザーはタダだから気軽に遊んでみるものの、やりづらかったり、ルールがわからなかったり、冒頭がつまらなかったりしたら、すぐにやめて、二度と起動しなくなってしまう。パッケージは、ある程度の金額を支払っているので、もう少し辛抱強いというか、おもしろみが味わえる部分まで遊んでくれる確率が高いと思いますが……。
40周年、50周年を目指して
――: 今回、チュンソフト30周年としてお話をうかがいましたが、今後の展開について30周年に絡んだ発表などの予定はあるのでしょうか?
中村: 近いタイミングで、発表できればと考えています。
――: ファンとしては、『不思議のダンジョン』シリーズやサウンドノベルの今後が気になると思うのですが……。
中村: 『不思議のダンジョン』シリーズは、最近でもポケモンさんとやっていたり、ほかにもやっているものがあったりするんですが、ご期待に沿えるようがんばります。
――: なるほど。『シレン』シリーズにも期待しています! では、最後の質問に行く前に、中村さんの今後の目標をお聞かせください。
中村: つぎは40周年ですね。そして、さらに50周年と続けていくのが目標です。先ほどの話に続きますが、この会社からワールドワイドに展開できるタイトルが生まれていけばいいなと思います。
――: 40周年、50周年と来たら、そのころのゲームはどうなっていると思いますか?
中村: この先の技術革新は、なかなか想像が難しいですよね(苦笑)。ネットが始まったころは、もっと無線化が進むといったことは想像できましたし、ワイヤレス化は今後も進んでいくと思いますが……。ゲームは、10年後にはパッケージがなくなっているかもしれませんし、そもそもすべてがクラウド化して、ストリーミングで遊ぶのが標準になっている気もします。
――: その最新のデバイスでも、アーカイブで『ドアドア』を遊んでいるかもしれませんよね。
中村: そうなっているとうれしいですね。
――: では最後に、チュンソフトファンの方にメッセージをお願いします。
中村: これまでいっぱい遊んでいただいて、本当にありがとうございます。おかげさまで30周年を迎えました。まずはお礼を伝えさせてください。そして、これからも皆さんの期待に応えられるようなゲームを発表していきたいと思っておりますので、チュンソフト、そしてスパイク・チュンソフトを、今後とも応援のほど、よろしくお願いいたします。
――: ありがとうございました。いちファンとして、新作をお待ちしております!